クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • ロールス・ロイスのマスコットを最初に車両に掲げた「モンタグ」とはどんな人物?「スピリット・オブ・エクスタシー」のモデルとの公言できない関係とは
CLASSIC
share:

ロールス・ロイスのマスコットを最初に車両に掲げた「モンタグ」とはどんな人物?「スピリット・オブ・エクスタシー」のモデルとの公言できない関係とは

投稿日:

TEXT: AMW  PHOTO: Rolls-Royce Motor Cars

「世界最高の自動車である」という名声は『タイムズ』紙が起源

才能ある彫刻家兼イラストレーターのチャールズ・サイクス(以下:サイクス)によってマスコットが製作された1908年11月13日、『タイムズ』紙の広告にこう書かれていた。

「モンタグは、6気筒のロールス・ロイスが世界最高の自動車(the best car in the world)であると宣言した」

これは、現在でもロールス・ロイスの代名詞となっているこの呼び名が正しく使われた最古の例である。翌年の1910年、ジョンソンはロールス・ロイスのオーナーの間で、自動車のフロントにコミカルなマスコットを取り付けるという流行が起きていることに気づいた。

スピリット・オブ・エクスタシー以前にウィスパーと名付けられたマスコットが製作された

モンタグが所有したロールス・ロイスにも「ウィスパー」と名付けられたマスコットを装備していたが、流行しているマスコットとはまったく異なるもので、サイクスによって造形されたものだった。

そのマスコットはサイクスの長年のミューズであるエレノア・ソーントンをモデルにしたもので、流れるようなローブを着て唇に指を当てる若い女性が製作された。これに感銘を受けたジョンソンは、サイクスにマスコットのデザインを依頼し、それが今日では「スピリット・オブ・エクスタシー」として世界的に知られている。

モンタグは1929年に亡くなるまで、熱狂的なロールス・ロイスのオーナーであり続けた。彼は4半世紀にわたってロールス・ロイスの揺るぎない友人であり、数十年にわたってロールス・ロイスの名に輝きを与えてきた。1952年、彼の息子である3代目男爵エドワードは、彼に敬意を表してイギリスのハンプシャー州ボーリューに国立モーターミュージアムを設立している。

AMWノミカタ

「世界最高の自動車」としての名声は『タイムズ』紙の広告が起源であることを知って驚いた。ユーザーからの自然発生的な評価として生まれた伝説的な言葉かと思いきや、その起源は広告のコピーライティングだった。しかしながらその言葉がいまも語り継がれ、ほかの製品にまで波及して「〜界のロールス・ロイス」と称されるには、やはり他を圧倒する製品力が伴っていたからではないか。

モンタグはここでは初めて「スピリット・オブ・エクスタシー」をクルマに付けた人物として紹介されている。このマスコットのモデルであったエレノア・ソーントンは、これをデザインしたサイクスの恋人でもありながら、モンタグとも深い関係を続けていた。

モンタグが1929年に亡くなるまで、所有するすべてのロールス・ロイス車にこのマスコットを掲げていたのは、おそらく長い間秘密にしなければならなかったエレノアへの愛を控えめに示すためだったのだろうといわれているが、サイクスはそのことを知ってデザインしたのだろうか。胸の奥が少し締め付けられる。

12
すべて表示

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS