仏独ハイブリッドのコンセプトカー
一流オークショネアが開催するオークションでは、かつてモーターショーのステージを賑わしたコンセプトカーが、一定の歳月を経て出品される機会がごく稀にあります。2024年5月4日、名門「ボナムズ・オークション」社がF1マイアミGPの付帯イベントとして、レースと同じく「マイアミ・インターナショナル・オートドローム」で開催した「MIAMI」オークションでは、現代のSUV万能時代を先取りしたようなフランス製コンセプトカー、ユーリエ「イントルーダー コンバーチブル」が出品されました。今回はそのモデル概要と、注目のオークション結果についてお伝えします。
かつてフランスのエンジニアリングを陰で支えたユーリエとは?
「カロッセリー・ユーリエ」は、かつてフランスで最も長く存続したコーチビルドショップのひとつだった。もともと1920年代に、馬車用ボディを製造するために設立された同社は、1928年に初の自動車ボディ架装として、フォードのシャシーにパン屋向けのバン型ボディを載せたという。
第二次大戦後のユーリエは、大小のバスやトラック/バンなどの商用車のボディ製作で存続したが、1960年代にはシトロエンをはじめとする、フランスの各自動車メーカーとの関係を深めてゆく。
そして1970年代に自動車への関心が高まると、さまざまなタクシーやリムジン、いくつかの巧妙なコンセプトカーなども手がけるようになり、やがてユーリエは大手メーカーからプロトタイプやコンセプトカーの製造、コンバーチブルへのコンバージョンをはじめとする少量生産車の開発契約を獲得するまでになった。
なかでもユーリエの名を世界に知らしめたのは、電動開閉式Tトップルーフ、ポリッシュ仕上げのディスクホイール、グリーンを基調としたワイルドなインテリアを備えた見事なシトロエン「SMエスパス」を1970年代初頭に製作したことと見なされている。
そんな彼らを象徴する2つの有名なプロジェクトは、ラリーの世界を経由して生まれた。ルノー公団(当時)から開発依頼を受けたユーリエは、フロントエンジン+フロントドライブのマイルドな小型ハッチバックルノー「サンク(5)」を、巨大なフレアフェンダーとミッドシップのターボチャージャーつきエンジンを備えた伝説のラリーウェポン「5ターボ」へと変身させる。
さらにその数年後には、今度はプジョーとの協業により「205T16」を開発。ルノー5と同じくフロントドライブの大衆車であるプジョー「205」に酷似した外観を持ちつつも実態はミッドシップ+4輪駆動のコンポジットボディとされたこのマシンは、激戦のグループBカテゴリーで二度の世界ラリー選手権を獲得した。
そんなユーリエが1996年に創りあげたのが、当時人気復活を遂げていた小型オープンスポーツカーと、現在のSUVムーブメントの兆候を見せていたオフローダーを融合させた、完全にマッドな1台、ユーリエ「イントルーダー コンバーチブル」だった。
メルセデス・ベンツ「SLK」をジャッキアップし、トラックのタイヤを履かせたようなこのコンセプトカーは、たしかにメルセデスのシャシーをベースにしているが、コンパクトなロードスターを思い起こさせるものではない。
しかし英BBCの人気番組『Top Gear』にて、あのジェレミー・クラークソンがR107系SLをベースに製作した「The Excellent」という洗練とは程遠いクルマなどとは違って、イントルーダーはフロアパンから完全に新設計したボディを身にまとっていた。
まるで現代最新のコンセプトカーのように見えるイントルーダーが、じつは1996年のパリ・サロンにてデビューしたデザインスタディであることを知ったら、おそらく現代人の多くが驚くことだろう。
ピニンファリーナやベルトーネなどの名門カロッツェリアを渡り歩き、この時代にはユーリエのチーフスタイリストとなっていたマルク・デシャンの手がけたスタイリングは、当時大人気だったメルセデスSLKを思わせるものながら、フォルムには現代の「AMG GT」を彷彿させるテイストも感じられる。それを思うと、後世のメルセデス・デザインにとっては案外影響力のあるコンセプトカーだったのかもしれない。
コンセプトカーとしての役目を終えて約30年
ユーリエ「イントルーダー コンバーチブル」は、鋼鉄とカーボンファイバーで構成された外皮の下に、基本的にスタンダードのメルセデス・ベンツ「G320」用のシャシーを持ち、直列6気筒ツインカム24バルブのM104型ガソリンエンジンが搭載されている。
またトランスミッションやトランスファーケース、前後ともリジッド式のアクスル、トリプルロック式ディファレンシャルなどもゲレンデヴァーゲンから流用され、約30cmの最低地上高を維持していた。
イントルーダーでは、平和かつスタイリッシュなロードスターボディの内部に、大幅に軽量化されたウェイト差を考慮したサスペンションチューニングを除けばノーマルのゲレンデヴァーゲンを内包しており、たとえ冒険を求めてオフロードに飛び出しても、安全に帰宅することができるように仕立てられていた。
自動車デザインの現場に、すでにCADが普及していた1990年代としては珍しいことだったが、デザイナーのデシャンはコンピューター支援設計を避け、昔ながらのクレイモックアップや、実物大模型を使用した作業を好んだといわれている。
ボディが完成すると、ユーリエの少数精鋭チームがインテリアデザインを即座に手がけ、メルセデス・ベンツの純正部品やスイッチ類を利用して親しみやすさを保ちつつ、すべてを鮮やかなブルーのレザーで包んだ。剥き出しの丸頭六角ボルトがゴージャスなレザートリムと相まって、目的意識の高いオフロードの機能性を際立たせている。
ハードトップは機能的なもので、トランクにすっきりと収納されるほか、晴天を信じるなら、完全に取り外してさらに広いラゲッジスペースを確保することもできる。さらに、エクステリアにはLEDライティングも採用されるなど、かなり時代を先取りした内容となっていた。
こうして完成したイントルーダーは、1996年のパリ・サロンを皮切りに世界各国のモーターショーを巡回することになる。また、コンセプトカーにはよくあることだが、その行程で何度もボディペイントを塗り替えられた。香港では赤、パリとハンブルクでは白、ジュネーヴとトリノではシルバーに仕上げられていた。
そして世界各国のモーターショーの大舞台で、デザインおよびエンジニアリング技術を披露するという役目を終えたのちには、この種のコンセプトカーの常として秘密裏に解体、あるいは一定期間は表舞台に出すことのないコレクターに譲渡されることもあるが、このユーリエ イントルーダーについては後者だったようだ。
こうして長い間、エンスージアストの目に触れることのなかったイントルーダーは、近年になって姿を現し、世界的に有名なレストア会社であるイギリスの「DKエンジニアリング」に預けられることに。そこで大規模なレストアが施され、その費用はおよそ30万ドルに上ったと報告されている。
そののち、2024年初頭にアメリカへと上陸することになったイントルーダーは、機能的なハイ&ローレンジのトランスファーケースを備え、アスファルト舗装された道路でもビーチでも快適なクルージングが可能。ヒーターとエアコンもよく効くという。
また、レストア時に発行された領収書や写真、宣伝用のパンフレットや当時の写真など、大量のファイルも出品物に含まれている。
このワンオフのコンセプトカーに、ボナムズ社は25万ドル~30万ドルというエスティメート(推定落札価格)を設定。さらに今回の出品を「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」で行うことを決定した。
この「リザーヴなし」という出品スタイルは、確実に落札されることから会場の空気が盛り上がり、エスティメートを超える勢いでビッド(入札)が進むこともあるのがメリット。しかしそのいっぽうで、たとえ出品者の意にそぐわない安値であっても落札されてしまう落とし穴もある。
そしてこの日のオークションでは、リスクを冒したことが裏目に出てしまったようで、終わってみればエスティメート下限の3分の1にも満たない7万2800ドル、日本円に換算すれば約1140万円という、出品者側からすれば不本意というほかない落札価格でハンマーが鳴らされることになったのだ。
しかしこの取り引きは、買い手にとってはラッキーだったというほかあるまい。
これから10年ほど良好なコンディションを保ったまま所有し続けていられれば、たとえばイタリア・コモ湖の「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」。さらにもう20年がんばれたら、アメリカの「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」など、世界の最高峰ともいうべきコンクールへの招待出品だって狙えるだけの可能性も秘めている。
そんな往年のコンセプトカーが、これだけリーズナブルな投資で入手できたというのは、この世界でもめったにない珍事と思われるのである。