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ブランドは一朝一夕でつくれません、だから絶対にやめないし、これからも続けていきます【エンケイ株式会社代表取締役社長 三浦信氏:TOP interview】

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TEXT: AMW 西山嘉彦(NISHIYAMA Yoshihiko)  PHOTO: 横澤靖宏(YOKOSAWA Yasuhiro)

ラリーから始まったモータースポーツ

ENKEIの名を世界に知らしめたのは、F1へのホイールを供給したことに始まる。現在も続くモータースポーツへの関わりは、ENKEIにとって、どのような意義があるのだろう。

「もともとモータースポーツはサファリなどのラリーが始まりです。泥んこのENKEIだったんです。それが、F1レースに実際に日本のメーカーとしてホイールを供給したのが1986年です。それから全日本F3000選手権、全日本GT選手権がはじまって、それらに供給をはじめました。1995年にはマクラーレンF1にもホイール供給をスタートしています。

1996年に帰国して5年後くらいでしょうか、欧州に向けてアフターの売り込みに積極的だった時期があります。そのとき、アポイントをとっていろんなところに飛び込み営業に回ったのですが、F1のおかげでENKEIというだけでホイールメーカーだとすぐに認知していただけたんですね。そういう意味では、モータースポーツは海外では名刺代わりになりますね。入社試験でもモータースポーツからENKEIを知ったという学生が多いですし、新入社員はモータースポーツの部門に何十人も社員が従事しているんじゃないかという印象をもっているようです。モータースポーツはいわゆる匠の世界ですから、そうではないんですけどね。でも、ENKEIを知っていただくきっかけには、十分になっていると思います。

「ENKEI」というオリジナルブランド

ENKEIといえば、「RPF1」や「NT03RR」といったスポーツイメージの強いホイールを思い浮かべる人が多いだろう。ホンダや三菱などで、国産自動車メーカーの足元を「ENKEI」ロゴの入ったホイールがセットされるスポーツカーさえあるほどだ。OEMとは違うアフターホイールについてはどのような姿勢で取り組んでいるのであろうか。

「ENKEIにとってアフターのホイールは売上の5%もないんです、実は。会長がENKEIのアフターを作って育ててきたんですね。自分たちでデザインして、適合車種やサイズも含めてすべてを考え、それで広告も制作して自分たちで売りに行くということをやってきたんです。売り上げとして5%しかなくとも、絶対やめてはいけないというのが会長の信念です。ですから、今でも企画会議に出席してくれるんです。

OEMの業界で自社ブランドがあるということは、実は他社との差別化でも優位なんです。自動車メーカーだけでなく自動車関連の企業に伺った際に、ENKEIといえばアルミホイールだと分かっていただけるので、差別化の武器になっていることは肌で感じています。ともかく知っていただいているというのは、ものすごくありがたいですよね。

そうしたこともあって、たとえばOEM関係でのディーラーオプション的なホイールについては、ENKEIのロゴが入っていることを望んでいただくことが多いんです。初期型NSX Rなどはホンダとの共同開発だったんですけど、スポーク部にロゴと社名を入れましょう、とホンダ側から提案されて実現しました。三菱のランサーエボリューションなどでもそうです、開発の方がラリー イコール ENKEIというイメージを持たれていて。自動車メーカーの側からリクエストされるということは、ブランディングがきちんとできているということだと思います。

ただし、こうしたブランド力は、一朝一夕では絶対にできません。一度やめてしまったら、もう取り戻すことができません。ですから、絶対にやめるべきではないし、これからも続けていきますよ」

これからNAPACに求めるもの

最後に、ENKEIが加盟しているNAPAC(一般社団法人 日本自動車用品・部品アフターマーケット振興会)に対して、期待していることを伺った。

「弊社のブランディングの話にもありましたように、アフターをやめてはいけないと思っています。ですから、ブランドをガッチリと守ってやってくというところを、業界全体として盛り上げていきたいですね。これは日本だけではなく、世界の市場を相手にして、日本のブランドを売っていくべきだと思います。たまたま私が米国市場の規模をよく分かっているからというのもありますが、あれほど魅力的な市場があるんだから、そこに出ていかない理由はないと思って、現在も進めています。

アメリカ、ヨーロッパだけでなくアジアも含めて、もっと世界を相手に活動するべきだと思います。間違いなく将来性はあると思いますし、商品競争力も日本ブランドは持っています。先日、弊社の寺田が蘇州GTショーに視察に行ったのですが、中国メーカーはまだまだ日本製品、日本ブランドを見てるという報告を受けています。ですからNAPAC加盟各社様が日本だけでなく世界を見て、世界に出ていきましょうということを──単独ではなかなか難しいでしょうから、NAPACでサポートしていく体制を作っていけるといいですね」

* * *

数年前から「デザイン思考」というのが見直されている。おおまかに説明すると、デザインに必要な思考方法と手法を利用してビジネス上の問題を解決していく手段である。アート(美術)を米国の大学で学んだ三浦氏であるだけに、現在の仕事に活かされているのかが気になるところではある。

「とくに大学で学んだアートの制作アプローチが活かされたということは、意識したことがありません。ただ、社内でのすべてのプロジェクトを作り上げていく達成感というのは、やはり美術も同じだと思うんです。絵を描き上げたときの達成感と同じです。物事を積み上げて作っていくプロセスという意味では、絵を描くのもビジネスでも同じじゃないかなと思います。最終的には自分の思い描いてるイメージへと導いていくという……。

その意味ではOEMというのは、短距離走じゃなくて、長距離走なんですね。ずっと走り続けなきゃいけない仕事なんです。こうした事情があるので達成感を得ることは難しいのですが、日々のタスク、プロジェクトを一つ一つ区切っていけば、それぞれに達成感というのは得られると思います」

大学では印象派を中心に学んだという三浦氏。インタビューの1週間前に大阪までモネの展覧会を鑑賞に出かけるほど、現在でも印象派の絵画が好きであるそうだ。印象派といえば、光(自然光)を分解して画布の上に絵筆で再構成するという表現方法。印象派の絵画を鑑賞するには、ある程度の距離を保って、画布の絵の具の反射光を網膜に映す必要がある。つまり、印象派の細かな技法を学ぶには至近距離のミクロの目で、そして作品そのものを味わうには離れてマクロの目で見る必要がある。これは間違いなくビジネスの分野にも応用できる理論であり、三浦氏の言葉の端々には、こうしたミクロとマクロの視点が常にクロスしていたのが印象的なインタビューであった。

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  • AMW 西山嘉彦(NISHIYAMA Yoshihiko)
  • AMW 西山嘉彦(NISHIYAMA Yoshihiko)
  • AMW編集長。大学卒業後、ドキュメンタリー映像の助監督を経て出版業界へ。某建築雑誌の版元で編集技術をマスターし、クルマ系雑誌編集部のある版元へ移籍。その後、版元を渡り歩きながら興味の赴くままにカメラ雑誌、ガレージ雑誌、グラビア誌のほかにBMWやランボルギーニの専門誌などを立ち上げ、2017年までスーパーカー専門誌の編集長を務める。愛車はBMW E30 M3。日本旅行作家協会会員。兼高かおる賞実行委員。近況は、個人ブログ「ART LIFE mag.」にて。
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