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いすゞ「ビークロス」がなぜ今話題に!? カニエ・ウェスト改めYeも愛車として迎え入れたカルトカーの販売台数は?

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TEXT: 佐藤 圭(SATO Kei)  PHOTO: AMW

販売台数は約1700台にとどまった

先進的なスペックとデザインで多くのファンを獲得したものの、3ドアの使い勝手やスポーツ性とトレードオフした硬い乗り心地、後方視界の悪さなどが影響し販売台数は約1700台にとどまった。もっとも当初から大量生産は考えていなかったようで、SUVのパイオニアとしての役割は十分に果たしたはずだ。

なおエンジンの開発に際してはスーパーチャージャー付き1.6Lも計画されたが、北米仕様も3.5Lへ排気量アップしたのみで過給器は見送られている。また先ほど挙げたイマイチな後方視界は、スペアタイヤ内蔵のバックドアが原因となる。解決策としてバックカメラ連動型のモニターを標準装備させたが、4半世紀も前だけに信頼しきれないユーザーも多かったのだろう。

乗用車メーカーとしてのいすゞでは、最後の輝きといってもいいクルマ

以前からメディアで「登場が早すぎた」と評されるビークロスだが、1997年といえばトヨタ「RAV4」やホンダ「CR-V」といったモデルはすでに存在しており、しかもRAV4は5ドアだけではなく3ドアもラインアップしていた。ビークロスは装備やスペックを考えれば、激安の295万円(消費税別)。ライバルに及ばなかった理由はディーラーの店舗数を含む販売力、そして時代を先取りし、尖りに尖った個性が理由かもしれない。

ただし今もなお新鮮なキャラの強さがなければ、時代の波に飲まれ話題に上がる機会も少なく、Yeを魅了することもなかっただろう。1993年に小型乗用車の生産を終了したいすゞは、2002年になると国内のSUV市場からも撤退する。乗用車メーカーとしてのいすゞでは、最後の輝きといっていいビークロス。販売的には決して成功と呼べないかもしれないけど、30年も前にビークロスのようなモデルを考案した開発陣、そしてゴーサインを出した経営陣には感服するばかりだ。

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  • 佐藤 圭(SATO Kei)
  • 佐藤 圭(SATO Kei)
  • 1974年生まれ。学生時代は自動車部でクルマ遊びにハマりすぎて留年し、卒業後はチューニング誌の編集部に潜り込む。2005年からフリーランスとなり原稿執筆と写真撮影を柱にしつつ、レース参戦の経験を活かしサーキットのイベント運営も手がける。ライフワークはアメリカの国立公園とルート66の旅、エアショー巡りで1年のうち1~2ヶ月は現地に滞在。国内では森の奥にタイニーハウスを建て、オフグリッドな暮らしを満喫している。
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