ガレージや物置から出てくるパーツの量は半端ない!
アメリカ・コロラド州で2024年6月23日に決勝が行われたパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに日本のサムライ・スピードから1991年式日産「パルサーGTI-R」が参戦準備をしてきたことは、AMWでも紹介しました。残念ながら諸事情で今回、走行は叶いませんでしたが、パイクスピークの麓の街、コロラドスプリングスにおいて、熱いパルサー・オーナーとの出会いが待っていました。
33年前のパルサーの走りに胸をときめかせていた!?
第102回パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに向け、日産「パルサーGTI-R」が日本からエントリーをしていた。33年前にパイクスピークに参戦していた神子 力選手が、パイクスピークに再挑戦すべく、パルサーGTI-Rでエントリーしたのである。残念ながら通関に手間取り車両をコロラドまで持ち込むことができず、2024年の参戦は見送りとなってしまっているが、現在は2025年の参戦に向けてもろもろの調整中だ。
この日本からパルサーGTI-Rがパイクスピークに参戦するとの情報を聞きつけ、神子選手にコンタクトを取ってきたのが、ライアン・ウォルフェさん(44歳)だ。パイクスピークのあるコロラド州コロラドスプリングスに暮らすライアンさんは、12歳の時にパイクスピークに観戦に行き、まさしくこの神子選手の走りを実際に目にしていたのだった。
ちなみに日産パルサーは、1978年に登場し、以来2000年まで5世代にわたって国内で発売されたモデル。当初は4ドアセダンのみの展開だったが、3ドアハッチバック、5ドアハッチバックなどを中心にボディタイプをラインアップしていた。その歴史の中で最もホットなモデルとして挙げられるのが4代目(N14)の3ドアハッチバックに設定されたGTI-Rである。
パルサーGTI-Rは、世界ラリー選手権(WRC)への参戦を織り込んで開発され、1990年に登場したモデル。4輪駆動力最適制御システム「ATTESA(アテーサ)」を搭載した4WDモデル、5速MTのみのラインアップとなっていた。SR20DET型2Lターボエンジンは230psを発揮し、車両重量は1220kgと軽量なボディで、パワーウェイトレシオが5.587kg/psという驚異のスペックを持つ。エンジンフードバルジとリアスポイラーが特徴的な外観で1995年まで生産されていた。
まもなく3台目のパルサーが到着予定!?
現在、そのライアンさんは、SNSで「United States Nissan Pulsar GTi-R Owners」というグループを立ち上げ、日々情報交換を行っている。そんなライアンさんの提案もあって今回、彼の自宅訪問が実現した。
実際に伺ってみると、自宅前(そしてバックヤード)にはスバル「BAJA」(バハ/レガシィランカスターをベースにしたピックアップトラック)、そして本人の腕には赤バッジの「H」のタトゥーがあり、初見ではパルサーGTI-Rには結びつかないイメージがあるが、ガレージや物置のあちらこちらから出てくるパーツの量は半端ない。本人もどこに何があるのか、怪しいところもあると話していた。今では入手困難な純正新品パーツやアフターパーツなどがわんさかあるイメージだ。本人もパーツ類は「3台分はある」というほど。
気になる車両は……というとバックヤードに建てられた簡易カーポートの中に1台。これはフルレストア中だという。現在は錆の発生した部分をすべて修復し、これから床に貼ってあるインシュレーターをはがし、ホワイトボディ状態にして塗装に持ち込む手前の状態だ。
もちろんこの1台だけではない。彼の父親が経営する牧場の一角に、もう1台。そして間もなく3台目のパルサーGTI-Rが彼のもとに届く予定だ。
なぜパルサーGTI-Rなのだろうか。ライアンさんはこう語ってくれた。
「パイクスピークで初めて見た1991年から欲しかったんだよ。GTI-Rは特殊なクルマで、ほかの人が興味を持つのと、僕の興味は違うところにあると思う。いま自分でレストアしているけれど、それは、僕の求めるレベルで信頼できるレストアをしてくれるショップが見つからないから。家族(親、妻、子ども)の理解が取れているかって? 僕の妻は僕がこのクルマにどれほどの愛情を注いでいるか知っているし、それを後押しもしてくれているよ」
パルサーGTI-Rでパイクスピーク参戦を目論む神子選手は次のようにコメントした。
「彼がここにいてくれるから、僕は参戦の際になにかあっても心配ない」
2025年のパイクスピークがいまから楽しみで仕方がない。