日本人のつながりで手に入れたフィアット「128」
このクルマはミュンヘンに在住していた日本人のつながりで手に入れたもので、当時ミュンヘンに住んでいた人はほとんどが会社の研修などで住んでいた人たちばかり。最初に知り合ったTさんもご夫婦で会社から派遣されていた人だった。そうした人は大抵任期を終えると帰国の途に就く。その際持っていた家財やクルマを売るのだが、やはりそうしたものは格安で出てくる。タイミングよく1台売りに出たのがフィアット128だったというわけで、価格は当時のドイツマルクで700マルク。今の日本円の価値だとおよそ10万円であった。
お金と引き換えに対面した128は、2ドアのモデルでお世辞にも綺麗とは言えず、タイヤも5部山程度。ツヤ消しの淡いグリーンだった。今のようなツヤ消し塗装ではない。要は、長年手入れをせずに放置された結果、見事なツヤ消しに変身していただけの話である。でも、機関の方は売主いわく絶好調とかで、実際走らせてみても快調だった。
そこで、なんとかツヤを復活させようと磨きまくった。結果だいぶツヤは戻ったが、ピカピカというわけにはいかなかった。日本で渡航費用のために売った自分のクルマは、発売当時のホンダ「シビック」である。そしてこちらはダンテ・ジアコーザの傑作FWDだから、いくら古くてもやはりさすがはヨーロッパ車と感心させられた。
最初に知り合ったTさんはオペルの古い「カデット」に乗っていた。ドイツはドイツ車が必然的に高く、輸入車(とくにイタリア車)は価格が安かった。例えば同じような年式のフォルクスワーゲン「ビートル」が3000マルク以上するときに、フィアットだとその半分で中古が買えた。使えそうなクルマだとだいたい2000マルクぐらいはしたから、いかに700マルクが安いかわかると思う。でもTさんのオペル カデットと比べると圧倒的に走りが活発でドライブが楽しいクルマであった。
クルマを手に入れたことで行動範囲は俄然広がり、かつてのルートヴィヒ2世が築城したミュンヘン近郊のお城を3つ制覇したり、スキーリゾートとして名高いガルミッシュ=パルテンキルヒェンなど多くの観光地を訪れた。
別れは突然やってきた
危ない目にもあった。そもそも買った時点でタイヤは5部山。それが走り込んで恐らくは精々3部山程度になっていたのだろうか、タイヤを変えるお金もなかったのでそのまま乗り続けていたある日、アウトバーンで豪雨に遭遇。まあ見事なほどハイドロプレーニングに見舞われ、ヒヤヒヤもんで帰ったこともあった。1年弱乗り続けたが故障は一度もなし。じつに快調であった。
手放すつもりは毛頭なかったのだが、同じ日本人コミュニティの大学教授から相談を受けた。
「どうしても譲ってほしい。代わりに君のクルマを買ってあげる」
それならご自身で別なクルマを買えばよいのでは? と聞くと
「君が乗っていたクルマだから信用できる……」
と言うのである。しかし700マルクでは次のクルマは手に入らいないから……とお断りすると
「君が次に買うクルマに僕が2000マルク払う」
前述したように2000マルクならそこそこのクルマが手に入るのでそれに乗ることにした。128との別れはそんな感じで突然やってきたのだが、まさか2年しか滞在しないドイツで2台目のマイカーが手に入るとは思いもしなかったので、残念であると同時にすごく嬉しかった記憶もある。