生粋のアメ車フリークがハーレーとともに愛するフリートライン
太平洋戦争が始まった年にデビューしたシボレー「フリートライン」。戦争によって民間向けの乗用車の開発がストップした影響によって、戦後車ながら戦前モデルの再生産車となったのが、小林さんが所有する1947年式です。ルート66などアメリカ文化やアメ車に憧れを抱くオーナーは、このクルマとハーレーのためにガレージハウスまで建てたそう。オーナーのアメ車愛を深堀りします。
会場でも最古参の戦前モデルの再生産車
どんな趣味の分野でもそれを楽しんでいる時間が長くればなるほど、その対象は深く狭くなっていきがち。クルマの世界で言えば、子どもの頃はスポーツカーもセダンもバスもトラックもパトカーも全て平等に好きだったのが、いつの間にかメイクスや車種、年代や国籍などのジャンルやセグメントを意識するようになり、自分の「守備範囲」が意外に狭くなってたりもする。その点、2024年4月14日に三条市内の三条パール金属スタジアム(市民球場)にて開催された「20世紀ミーティング 2024年春季」は自由だ。
会場にはさまざまな国籍とメイクス、スポーツカーから商用車、バイクまで、計178台のエントラントが集まった。そんなバラエティに富んだエントラントの中でも最古参、ひときわ注目を集めていたのがこちら。1947年のシボレー「フリートライン」だ。
フリートラインのデビューは1941年のこと。しかしこの年の12月、日本軍の真珠湾攻撃を機にアメリカは枢軸国に対し宣戦布告。戦時下となったアメリカでは民間向けの乗用車の開発はストップし、フリートラインは1945年の終戦までは主に軍の公用車として生産される。戦争が終わるとアメリカの自動車メーカーは再び乗用車の生産を開始するが、そのほとんどは戦前モデルの再生産からであった。この1947年型シボレー フリートラインもグリルなどの意匠以外は戦前モデルとほぼ同じである。
ハーレー乗りでもあるオーナーは愛車のためにガレージハウスを建てた
そのクジラを思わせる巨体が迫力満点のシボレー フリートライン。この時代のモデルは排気量216キュービック・インチ(約3.5L)の直6エンジンだ。アメ車といえば1950年代中盤以降の「テールフィン」の時代のモデルや、1960年代から1970年代初頭にかけての「マッスルカー」などが趣味の対象としてはメジャーだが、1940年代の、しかも比較的ノーマル状態のモデルとなると、わが国ではちょっと珍しい。ちょうどオーナーの方がいらしたので、お話を伺うことに。
「昔から“ルート66”に代表されるアメリカの文化やクルマに憧れを抱いていました」
と語るのは、オーナーの小林丈太さん。クルマの他にも二輪はハーレーに乗っていて、以前は2014年式のダッジ「ラム」にも乗っていたという生粋のアメリカ車フリークだ。それで、このフリートラインは指名買いですか?
「じつは最初はシボレー インパラを探していたんですよね。なかなか良い出物が見つからないなか、滋賀のアメ車専門店で偶然出会ったのがこのシボレー フリートラインでした」
結局その出会いから、昨年7月に購入。基本的にはノーマル状態を維持しつつ、ヘッドライト・アイブローや外付けのフロント・サンシェード、Aピラーに取り付けられたガンスポットライトなどのオプションパーツでオーナーのさりげないこだわりを見せる。今の状態にまで仕上がったのはつい最近で、イベントへの参加は今回が初という。
「じつはこのクルマとハーレーのためのガレージハウスも建てたんですよ」
と、センスの良いアメリカンなガレージの画像も見せてくれた小林さん。そのクルマ趣味にかける想いはまさに本物だ。国産旧車や欧州産ヒストリックカー、ヤングタイマー世代の車たちの比率が高い会場内で、その存在はまさに「ルート66」から舞い降りてきたかのような佇まいだった。
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