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2015年に日本から流出したフェラーリ「F40」が約5億5800万円で落札! 走行1150キロの奇跡のスペチアーレ跳ね馬でした

347万ドル(邦貨換算約5億5800万円)で落札されたフェラーリ「F40」(C)Courtesy of RM Sotheby's

日本で長い年月を過ごしたF40が、カナダのオークションに登場

新旧の自動車/オートバイにくわえて、オートモビリア(自動車趣味グッズ)に時計、そしてナイキのスニーカーに至るまで、あらゆるジャンルのモノを収集してきたさるコレクターの愛蔵アイテムが、RMサザビーズ北米本社とのコラボにより、カナダ・トロントにてオークションにかけられることになりました。そのタイトルは「The Dare to Dream Collection」。約300点にも及んだ出品アイテムのなかから、今回は国際マーケットの動静を見極めるための指標ともなっているフェラーリ「F40」を紹介します。

フェラーリ創業以来の精神を80年代に再現したスーパーカーとは?

1987年のフランクフルト・ショーにおいて、フェラーリ創立40周年を記念して発表された「F40」は、ル・マン24時間レースに「グループB」カテゴリーで参戦することを目指して開発された「288GTOエボルツィオーネ」から発展したモデル。ところが、同じグループBによるラリー競技で、相次ぐ深刻なクラッシュが発生したことから、グループB自体が廃止されてしまう。

そこでフェラーリは、このデザインを市販車用にアレンジし、20世紀を代表する名車を生み出した。妥協のない公道レーサーであるフェラーリF40は、ドライビングを楽しむために余計なものは一切排除され、そのスピリットは同時代の「328GTB/GTS」や「テスタロッサ」よりも「250GTO」に近いものとされた。

ダッシュボードはグレーのクロスで縁取られ、インテリアの多くの面は剥き出しのまま。同様に、室内ドアハンドルはなく、シートは薄い布張りで、初期の生産車両にはポリカーボネート製のサイドウインドウも取りつけられた。F40は、臆面もなく過剰なものがあふれる時代に生まれたにもかかわらず、ほとんどマゾヒスティックなまでにストイックだった。

アルミニウムとカーボンファイバー、ケブラー製のパネルで覆われたこのモデルは、「288GTO」から2450mmのホイールベースを受け継いだものの、チューブラー鋼のシャシーに追加されたブレースにより、より頑丈になった。

F40は当時世界最速のクルマだった

デザイナーのレオナルド・フィオラバンティが手がけたとされるこの斬新なボディワークは、軽量で空気力学的に効率的であり、その広大なウイングとともに、現在でも最もよく知られたデザインのひとつとなっている。

その皮の下には、ストリートレーサーとしてのF40のテーマが受け継がれていた。ドライサンプ式V型8気筒エンジンは、288GTO用をベースに2936ccに拡大されるとともに、2基がけされる日本のIHI社製ターボチャージャーの過給圧は、0.8barから1.1barに引き上げられた。

マニュアルの5速トランスアクスルを介して駆動する「ティーポF120-040」エンジンは、478psのパワーと58.5kgmのトルクを発揮し、0-100km/h加速は4.1秒だった。最高速度は324km/hで、F40は当時世界最速のクルマでありながら、近代的なドライバーエイドの介在は極力排除されていた。

自動車ジャーナリストのリッチ・セッポスは米『Car and Driver』誌にこのようなF40のレビューを寄稿した。「フェラーリ、マセラティ、ジャガー、ポルシェといったメーカーが、最小限の改造でレースに参加できる公道用のスポーツカーやGTカーを製造していた1950年代後半以前の時代を思い起こさせる。彼らが提供したのは、まぎれもない興奮だった。F40はそんなクルマだ。」

大阪から千葉、そしてイギリスからカナダへと渡り歩いたF40

スパルタンかつストイックであることを身上としたフェラーリF40ながら、安全性と排ガス規制への懸念から、その生産期間中には複数の変更が加えられていた。なかでも重要だったのは、革新的だがときに厄介なセルフレベリング・サスペンションシステムをオプションで追加し、ドライバーが車高を調整できるようにしたこと。そしてもうひとつは、環境規制の強化に対応するための触媒コンバーターの追加だった。

しかし現在においては、アジャスタブル・サスペンションと触媒コンバーターを装備していないF40は、「ノン・キャット、ノン・アジャスト(non-cat, non-adjust)」と呼ばれ、その優れたハンドリングと制限の少ないエンジンが、エンスージアストの間では好ましいものと評価されている。

このほど2024年5月31日〜6月1日に開催された「The Dare to Dream Collection」オークションに出品されたF40も、そんな「ノン・キャット、ノン・アジャスト」の1台。保存状態は極めて良好で、オークション公式カタログ作成時点の走行距離はわずか1606kmに過ぎない。

この個体は1990年3月1日に生産を完了し、現在のように「ロッソ・コルサ」のボディカラーと同じく赤い「ストッファ・ヴィゴーニャ(ヴィゴーニャ生地)」で仕上げられ、同月にファクトリーから直接販売された。

元オーナーがまとめた履歴によると、その3カ月後にヨーロッパから日本へと輸出され、1990年6月11日に大阪のコレクターによって初めて登録された。

2004年、F40は千葉県に住む別のオーナーの手に渡り、2010年に3人目、そして最後の日本人オーナーの手に渡るまで5年間保管された。このオーナーは、2015年時点の走行距離が1150kmだったと述べている。

同じ年、イギリス・ハートフォードシャーにあるフェラーリ・スペシャリストとして有名な「DKエンジニアリング」がF40を入手し、イギリスに輸入させた。同社の創設者兼取締役からの書簡によれば、同社がこれまで扱ってきた140台以上のF40のうち、シャシーナンバー「84169」は、過去5年間でもっとも走行距離の少ない個体のひとつだったという。

DKエンジニアリングの管理下において、このシャシーナンバー「84169」はカムベルトや燃料タンク、リアのアッパー・ウィッシュボーンブッシュ、ホイールロック・クリップ、フルードの交換、サスペンションの分解修理とダンパー類のオーバーホール、カムカバーの取り外しと再シュリンク塗装、バルブクリアランスのチェック、ファイヤーシステムの取り付けが行われた。

この作業が完了すると、DKエンジニアリングは「フェラーリ・クラシケ」の検査を依頼。その「レッドブック」は2016年2月9日に発行され、「84169」がナンバーズ・マッチのシャシー、エンジン、ギアボックスを備えた素晴らしいコンディションであることが確認された。

純正ポーチに入ったマニュアルと工具も完全な状態で保管

2015年末に「The Dare to Dream Collection」に譲渡されて以来、このF40はほとんど走行に供されることはなかったものの、2020年にはウォーターポンプ交換とターボユニットのリビルト、2023年にはエアコンシステムの整備とガスのリチャージを行うなど、継続的にメンテナンスが行われている。また、純正ポーチに入ったマニュアルと工具も、完全な状態で残されている。

RMサザビーズ北米本社は「フェラーリの1990年代スーパーカーの真髄を体現するこの車両ほど魅力的な例はないだろう」という謳い文句を添えて、275万ドル(邦貨換算約4億4430万円)~325万ドル(邦貨換算約5億2505万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定した。

ところで、今回の「The Dare to Dream Collection」オークションは、すべて「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」形式で行われるというのが前提条件。したがってたとえフェラーリF40であっても、入札が希望価格に到達しなくても落札されてしまう「リザーヴなし」で出品されることになった。

しかし、そんな「リザーヴなし」で起こりうるデメリットも、国際マーケットにおける超人気モデルであるフェラーリF40には「どこ吹く風」だったようだ。

競売が終わってみれば347万ドル、日本円に換算すると約5億5800万円という、たとえ現在の円安の為替レートを加味しても驚くしかないような、まさしくスーパープライスで落札されることになったのだ。

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