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スムーズで一気にトップエンドまで回る直6エンジン! 私は「2800CS」でBMW党になりました【クルマ昔噺】

BMW 3.0CS:流通の少なかった大型クーペのBMW「3.0CS」はよく売れた

BMWの凄さの一端に触れた気がした

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。当時(1970年代)、自動車ショップでアルバイトしていた孝仁氏が「BMW党になった!」と公言するほど気に入ったモデルがありました。第25回目は、新車で乗ったBMW「3.0CS」を振り返ってもらいます。

スーパーカーに乗った経験は大きな財産

大学時代にアルバイトをふたつ掛け持ちでやっていた。ひとつはノバエンジニアリングという会社でのレースメカニックの丁稚。そしてもうひとつはローデムコーポレーションという、並行輸入車を扱う自動車ショップでのものだった。

当時並行輸入がようやく解禁になった頃で、体力のある業者は自らの手でクルマを海外から持ち込み販売を始めた。そんなわけだから当時の雑誌広告を見ると、もの凄いクルマたちの売り物がたくさん出ている。私にとっては有難いことにそのどちらもが、今の仕事にとても有益に作用した。とりわけローデムで当時のいわゆるスーパーカーに乗った経験は大きな財産である。もちろんそれはいわゆるスーパーカーブームに火がつく前夜の話である。

ローデムでも取り扱うクルマの多くはスーパーカーであった。しかし、スーパーカーを並べて飛ぶように売れるのはまだ先の話で、当時の売れ筋と言えばやはりBMWであったり、メルセデス・ベンツであったりで、まだ当時はアメリカ車の人気が根強かったから、アメリカ車も時々入荷した。もっとも輸入をしていたのがドイツからだったから、アメリカ車の仕入れは国内に流通しているものだけであった。

BMW 3.0CSはよく売れた

その当時の輸入車業界は今のように厳格ではないから、正規輸入も並行輸入もあったものではない。BMWについては面白い話がある。当時BMWの正規輸入元はバルコムトレーディングという会社だった。しかし、輸入車にめっぽう強かったはずの『カーグラフィック』にはバルコムの広告は出ておらず、我々ローデムの宣伝しか出ていなかった。そんなわけだから流通の少なかった大型クーペのBMW「3.0CS」に対する引き合いはとても多く、そしてよく売れた。

そんなある時、ひとりのバルコム社員が来社して、我々が輸入したBMW 3.0CSを売って欲しいとのこと。お客がいるがバルコムには販売車両がない。というわけでクルマをローデムからバルコムに手配することになった。当時は正規も並行もなかったという典型的事例である。つまり、今でこそ日本仕様として正規代理店は輸入しているが、並行業者が扱うクルマは現地で販売される仕様となる。日本仕様とは異なるのが大半だが、当時は日本市場のパイが小さかったこともあって、メーカーが敢えて日本仕様など作ってくれない時代だったというわけである。

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メルセデス・ベンツ280CEとはデザイン面でも雲泥の差だった

そんなわけだからBMWの3.0CSというクルマにはよく乗った。ほぼすべて新車だった。3.0CSは少なくとも記憶する限りすべてがオートマチック車であった。マニュアル車は後述する「2800CS」にしか乗ったことがない。とても華奢なピラーで構築されたグリーンハウスを持つ美しいスタイルで、当時同じく導入していたメルセデス・ベンツ「280CE」とはデザイン面でも雲泥の差。

そしてスポーティさでも正直なところ雲泥の差であった。どちらも当時のクルマらしく、ステアリング径は大きめだが、メルセデスの方がやはりBMWよりもさらにひと回り大きく、そのハンドリングもBMWほどスポーティなものではなかった。

会社にあった3.0CSはいわゆるCSAと当時称したオートマチックのモデルばかり。たしかボルグワーナーだったと思うが3速のATで、お世辞にもシャープな印象を持たなかったのだが、それでも走りはメルセデスのDOHCエンジンを搭載した280CEよりは上だった。

「2000CS」に端を発する一連のBMWクーペデザインは当時のBMWデザインチーフだったヴィルヘルム・ホフマイスターによるものという説が最近では主流である。ただし、逆スラントのフロントノーズのアイデアを含む多くのエレメントはジォヴァンニ・ミケロッティによって作り出されたものである。

メルセデスを凌駕していたBMWのエンジン

一方でホフマイスターが手がけたのが、今もBMWデザインの基本的デザインランゲージであるホフマイスター・キンクを生み出したことだろう。いずれにせよ美しいBMWのクーペデザインはこの時に始まった良き伝統である。

さて、オートマチックの3.0CSはまだ当時フリクションの大きかった出来の良くないオートマチックのせいで魅力の半分を削がれていたと言って過言ではない。その発進も独特で、ブレーキを踏んでシフターをDに入れると、これでもかというほどテールがガクンと下がるほど強力なクリープがあった。それでも、当時すでにシルキー6と呼ばれていた直6エンジンはそのスムーズさにおいて完全にメルセデスを凌駕していた。

ある時マニュアル4速の2800CSというモデルがやって来た。まだ5速などない時代である。こいつに乗った途端、私はBMWの凄さの一端に触れた気がした。とにかく超速かった。しかもスムーズで一気にトップエンドまで回る様を体感して以来、私はBMW党になったのである。その鋭い加速、美しい音色でスムーズに回る6気筒エンジン。当時は日本の6気筒と言えば日産のL型が支配的であったが、BMWのスムーズさには遠く及ばなかった。シルキー6と称された無類にスムーズな6気筒を体験してしまった、というわけである。

今もBMWの6気筒は良いとされているが、周りが良いものを作ってきているので、言ってみれば東京タワーのようなもので大勢のなかで埋没しているが、当時は唯一高くそびえたっていた印象である。

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