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昭和の「ミニ」ブームへの反動もあってイタフラ系に走った青春時代…還暦目前、なぜバンデンプラ「プリンセス」に? 英国旧車に戻ってきた理由とは

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 長尾 循(NAGAO Jun)

  • バンデンプラ プリンセス1300:ADO16一族としては最後期にあたるモデル
  • バンデンプラ プリンセス1300:1973年式のオートマチック車
  • バンデンプラ プリンセス1300とオーナーの宮地隆司さん
  • バンデンプラ プリンセス1300のオーナーの宮地隆司さん
  • バンデンプラ プリンセス1300:フェンダーミラーも状態良好
  • バンデンプラ プリンセス1300:紅く輝くエンブレム
  • バンデンプラ プリンセス1300:ユニオンジャックがボディに施される
  • バンデンプラ プリンセス1300:バンデンプラ プリンセス1300のエンブレム
  • バンデンプラ プリンセス1300:バンデンプラのホイールキャップが装着される
  • バンデンプラ プリンセス1300:さりげなく貼られたBMCドライバーズクラブのステッカー
  • バンデンプラ プリンセス1300:1972年に設立されたオーナーズ・クラブ「ミニ・ウィングス」のTシャツが展示される
  • バンデンプラ プリンセス1300:上質なウッドをふんだんに使用したインテリア
  • バンデンプラ プリンセス1300:リアシートにウッド製のピクニックテーブルを装備する
  • バンデンプラ プリンセス1300:4速オートマチック車となる
  • バンデンプラ プリンセス1300:ADO16一族の中でも、もっとも上質なポジションを与えられていた
  • バンデンプラ プリンセス1300:ネイビーのシートがクラシカルなインテリアに映える
  • バンデンプラ プリンセス1300:1275ccエンジンを搭載する

純粋展示車両として参加したバンデンプラ プリンセス1300

欧米では古くから、老オーナーが自身の愛車を次世代の若者に託す「バトンタッチの場」としてスワップ・ミートのイベントが有効に活用されています。2024年4月20日(土)〜21日(日)に初の開催となった「SWAP&MEET in 妙高」も、そんな欧米のスタイルに範を取ったものです。とはいえ売買や交換を目的とせず、愛車の展示とオーナー同士の親睦を深めるために参加したというエントラントも多く、このバンデンプラ「プリンセス1300」も「純粋展示車両」として参加しました。

60年代の英国で大きな成功を収めた「ADO16」一族

ご存知の通り、多くの民族資本系自動車メーカーが長年にわたり合従連衡を繰り返してきた英国。こうして生まれたBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)は、1960年代には英国最大の自動車メーカーとなっていた。そんなBMC内にはオースチン、オースチン・ヒーレー、モーリス、MG、ウーズレー、ライレー、バンデンプラといった多くのブランドが存在していた。「ADO15」の形式名で知られるオリジナル「ミニ」が、1959年のデビュー時にはオースチン「セブン」とモーリス「ミニ マイナー」というふたつの大衆車ブランドから姉妹車として世に出たことも、そんな背景がある。

フロントにエンジンを横置きに搭載し前輪を駆動するという、近代的な前輪駆動小型車の先駆けとなったミニだが、当時のBMCはそのフォーマットの成功を、さらに上級のセグメントでも展開しようとしていた。そしてミニに遅れること3年、ミニよりひとクラス上の乗用車として、1962年にまずモーリス「1100」とMG「1100」がデビュー。

続いて翌1963年にはオースチン「1100」とバンデンプラ「プリンセス」が、そして1965年にはライレー「ケストレル」とウーズレー「1100」が加わり、これらの姉妹車をまとめて「ADO16」と、一族の形式名で呼ぶ場合も多い。このADO16一族もまた、1960年代の英国を中心に大きな成功を収めた。

子どもの頃からずっと身近にミニがいる環境だった

「今から50年くらい昔、私の父がミニに乗っていて、子どもの頃からずっと身近にミニがいる環境だったんです」

と語ってくれたのは、バンデンプラ プリンセス1300でイベントに参加した宮地隆司さんだ。

「私の父は“ミニ・ウィングス”というオーナーズ・クラブの創立メンバーで、“クラブ305”などにも積極的に関わっていました」

という宮地さん。ちなみにミニ・ウィングスとは1972年に設立されたオーナーズ・クラブ。クラブ305は1979年から2009年まで富士スピードウェイで毎年開催されていたミニの一大イベント。お父上がその頃からのミニ乗りで、ご自身も若い頃からその環境とあれば、そのまま英国車道一直線?

「いや、じつはそうでもなかったんです」

と、宮地さんからは意外な回答。少年時代からミニが身近にありすぎて、さらにご自身が免許を取得する頃になると、世はちょっとしたミニ・ブーム。

「猫も杓子(しゃくし)もミニ最高! ミニ、かわいい! みたいな風潮がちょっと嫌になりまして……」

と、フィアット「リトモ」やルノー「メガーヌ」など、あえて英国から距離を置いてイタフラ系のクルマに走った時期もあったという。それでも三つ子の魂百までというべきか。

「年齢を重ねるにつれ“まぁ好きなものは好き”と素直になればいいかなと、30代になってからはキャブレター仕様最終の12インチのミニに乗るようになりました」

それなりにチューニングなども楽しむなど、再びクラシック・ミニの世界に入り込んだ。

>>>2023年にAMWで紹介されたクルマを1冊にまとめた「AMW car life snap 2023-2024」はこちら(外部サイト)

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