1960年式 ボルボPV544
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という、クルマ好きなら誰しも思うであろう素朴な疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回は、ボルボの名作として知られる「PV544」を俎上に載せ、そのモデル概要とドライブインプレッションをお届けします。
パッシブセーフティへの取り組みにいち早く挑んだ、ボルボ中興の祖
ボルボ「PV544」のあらましをご説明するには、まずはその前任モデルにして、事実上のベースモデルでもある「PV444」について、お話しする必要があるだろう。
PV444は第二次世界大戦の世界マーケットを見据えて、大戦末期の1945年2月に発表。1946年秋に生産開始された、ボルボの基幹モデルである。その車名は、戦前以来ボルボ製セダンに命名されていた「PV(Person Vagn:スウェーデン語でセダンの意)」というコードネームに「4人乗り/40ps/4気筒エンジン」であることを示す「444」という数字が組み合わされたものという。
大戦を挟んだ時期のアメリカ製セダンに触発されたと思しき、プレーンバックの2ドアボディはユニボディ(モノコック)構造とされ、フロントにはウィッシュボーン式の独立懸架が採用されるなど、この時代の実用車としてはかなり先進的な成り立ちだった。また「パッシブセーフティ(受動安全)」の概念を世界の自動車メーカーに先駆けて提唱するなど、基本的な設計哲学は現代に至るボルボの礎となったといわれている。
こうして、ボルボの名を世界中に広めることに成功したPV444の高い信頼性と耐久性は、欧米のマーケットの要請にしたがって上級移行するかたちで、1956年にデビューした実質的後継車の「120シリーズ(アマゾン)」にも継承されてゆく。ところが見かけは長閑ながら、じつはなかなかの高性能だったPV444には根強いファンが少なからず存在していたことから、1958年にはビッグマイナーチェンジ版ともいうべき「PV544」として、その血統が継承されてゆくことになる。
朴訥なルックスに似合わぬ高性能でモータースポーツでも活躍
新生PV544は、先達であるPV444のボディシェルはそのまま、フロントまわりのデザインをモダナイズ。また、PV444では左右分割式だったウインドシールドは、1枚の曲面ガラスに置き換えられ、リアウインドウも拡大するなどのモディファイによって後方視界と後席の快適性も改善された。
また、1959年モデル以降はアマゾンと同じく3点式シートベルトが標準装備され、ダッシュボード上縁にはクラッシュパッドも貼られるなど、当時としては世界最先端となる安全性への配慮が前面に打ち出されてゆく。
パワーユニットは、当初PV444の後期型と同じ水冷直列4気筒OHV 3ベアリング、1.6Lの「B16」系エンジンを選択していたが、1962年モデル以降は「P1800クーペ」と同じ1.8L/5ベアリングの「B18」型エンジンとなり、とくにツインキャブのB18D型搭載車は「ボルボ・スポーツB18」の名で高性能をアピールしていた。
そして細かなブラッシュアップを施されつつ、PV444まで遡ればデビューから20年後に相当する1965年秋まで生産されることになったのだが、PV544で特筆すべきは、朴訥なルックスに似合わぬ高性能を活用して、モータースポーツでも活躍したことだろう。
とくにスペシャルステージを中心とするコース構成となり、スピード競技として発展する以前のラリーでは、堅牢・簡潔なつくりによる耐久性や、雪道におけるハンドリングを活かして一時代を構築。「WRC(世界ラリー選手権)」の母体である「ヨーロッパラリー選手権(ERC)」では、2シーズンにわたって製造者部門の年間タイトルを獲得している。
くわえて、かのスティグ・ブロンクヴィストをはじめとする北欧系ドライバーたちの多くが、PV544とともにラリー競技の世界に足を踏み入れたとされているのだ。