一時は日陰の存在だったアストンマーティンV8ヴァンテージが……!
いわゆるスーパーカー級のクルマのなかにも、前世紀末ごろには忘れられた存在となりかかり、市場での価格も底値となっていたモデルが数多くありました。ところが高騰ないしは高値安定が続く現在のクラシックカーマーケットでは、そんな隠れた佳作たちにもスポットライトが当てられるようになっています。今回は、2024年5月31日〜6月1日にRMサザビーズ北米本社がカナダ・トロントにて開催した「The Dare to Dream Collection」オークションに出品された、1985年式のアストンマーティン「V8ヴァンテージ」のオークション結果についてお伝えします。
アストン史上初の「V8ヴァンテージ」って、どんなクルマ?
もともと直列6気筒版のみの体制だったアストンマーティン「DBS」に、5340ccの総軽合金製V型8気筒4OHCエンジンを搭載した「DBS V8」が追加されたのは、1970年のことである。ほどなく6気筒の「DBS/DBSヴァンテージ」は生産を終え、1970年代のアストンはV8のみの体制となった。
ところが、1972年に社主デーヴィッド・ブラウンが本業のトラクター製造ビジネスでつまづいてしまったことから、アストンマーティン・ラゴンダ社の経営権は同社の熱心な愛好家であった実業家グループに委譲された。DBS V8は新たに「AM V8」と呼ばれることになり、当初組み合わされていた英「ルーカス」社製インジェクションも、翌1973年には伊「ウェーバー」社製ツインチョークキャブレターに置き換えられることになった。
ただ、6気筒時代に存在した高性能版「ヴァンテージ」は、もとよりパフォーマンスに優れたV8にはなかなか設定されなかったのだが、4連装キャブレターを大径化してパワーアップを図るとともに、エクステリアではボンネット中央のエアスクープを閉じ、「パワーバルジ」に代えた「V8ヴァンテージ(V540)」が、1977年に登場する。
驚異的なパワーを発生した「V580X」
さらに1978年秋には、V540ゆずりのボンネットや閉じたラジエーターグリルを特徴とするとともに、初期のヴァンテージでは別体式だったリアスポイラーをテールに内包させた「オスカー・インディア」ボディに移行することになった。
こうして「オスカー・インディア」化が施されたV8ヴァンテージのエクステリアは、たしかにアングロサクソン的ハンサムではあった。しかし、1986年に登場したアップグレード版「V580X(X-Pack)」エンジンによって、このモデルの伝説は確固たるものとなってゆく。
4基のウェーバー大径キャブレター、高圧縮の英「コスワース」社製ピストン、大径バルブとインテークマニホールドを装備したこの高性能エンジンは、5.3Lの排気量はそのまま432psという、当時としては驚異的なパワーを発生。このスープアップとともに、V8ヴァンテージは、正真正銘の時速300km/h級スーパーカーに仲間入りを果たしたのだ。
ただし、RMサザビーズ北米本社の作成したオークション公式カタログに記されている「その10年前に途絶えていたアメリカン“ポニーカー”の精神的後継車として、多くの人に評された」という一節については、カナダ人およびアメリカ人を主たる落札者としてみなしているこのオークション特有の「リップサービス」であるかに思えてならない。あくまで、筆者の個人的感想ではあるのだが……。
メーカーが公式にX-Packチューニングしたヒストリーつき個体とは?
2024年5月31日〜6月1日にRMサザビーズの「The Dare to Dream Collection」オークションに出品されたV8ヴァンテージは、販売時に添付されるファクトリー・オーダーフォームにも記されているように、ルクセンブルクの著名なアストンマーティン愛好家であり、自称「忠実なアストンマニア」であるユベール・ファブリ氏の好みに合わせてオーダーメイドされたものとのことである。
現存するファクトリー公式資料の数々から、日本の「ナカミチ」社製オーディオシステム、アメリカではおなじみ「Cobra(コブラ)」の盗難警報システム、インテリアとマッチしたナチュラルレザーでトリミングされたカスタム仕立てのチャイルドシート、電動スライディングルーフ、フロントのフォグランプ、ラゲッジフィット、灰皿代わりのグローブボックス。あるいはリアアームレストに代えて、革巻きボトルつきカスタムデザインのリフレッシュメントバーを備えるなど、ファブリ氏がこのクルマを彼の好む仕様に仕立てていった過程が読み取れる。
ところが、前述のとおり1986年モデルからX-Pack仕様が用意されることを知ったファブリ氏は、アストンマーティン本社に手紙を書き、次の点検のためにニューポートパグネルのファクトリーへと戻される際に、自分のV8ヴァンテージをX-Pack仕様にアップデートしてほしい旨を依頼した。
エスティメートを上回る落札価格に
ファブリ氏のリクエストは受け入れられ、1986年3月にX-Pack仕様へのアップデートが敢行された。彼は、1984年にニューポートパグネル工場をプライベートで見学した直後から、注文のプロセス、車両の引き取り、X-Pack仕様へのアップデートに至るまでアストンマーティンの重役との間で膨大な書簡を交わしていたのだが、今回のオークション出品に際してはそれらのレターも添付されていたという。
今回の出品に際して、サザビーズ北米本社は「ボンネットスクープにエアダムスカート、そして独特のV8サウンドなど、アメリカで愛されるマッスルカーとV8ヴァンテージを比較しないのは難しい」という、またしてもアメリカ目線、北米大陸の顧客を意識したと思われる謳い文句を添えて、われわれ日本人からするとちょっと強気にも映る、22万5000ドル(約3550万円)~30万ドル(約4740万円)のエスティメート(推定落札価格)を設定した。
なお、今回の「The Dare to Dream Collection」オークションは、すべて「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」形式で行われるというのが前提条件。したがって、たとえ入札が希望価格に到達しなくても落札されてしまう「リザーヴなし」で出品されることになっていた。
それゆえ一時は数百万円レベル、たとえヴァンテージであっても1000万円以下まで相場価格が落ち込んでいた時期もあったアストンマーティンDBS/V8系モデルだけに、この「リザーヴなし」ではお約束ともいえそうなリスクも充分に危惧されたのだが、いざ競売が終わってみれば、エスティメート上限を大幅に上回る36万8000ドルに到達。
つまり、日本円に換算すると約5900万円という、たとえ現在の円安為替レートを加味して考えても、往時のマーケット相場とは隔絶したかに映る価格で、競売人のハンマーが鳴らされるに至ったのだ。