ポルシェの歴史を変えたスーパーカー959
RMサザビーズ「The Dare to Dream Collection」オークションが2024年5月31日〜6月1日に開催されました。同オークションでは、フェラーリ「288GTO」の出品が話題を呼びましたが、じつはそのライバルとして取り上げられることも多いポルシェ「959」も競売にかけられていたのです。そこで今回は、伝説の959のあらましと、オークション結果についてお伝えします。
ポルシェのゲームチェンジャー、959とは?
1983年のフランクフルト・ショーにて、まずはコンセプトカー、ポルシェ「911グルッペB」としてショーデビュー。1985年に生産型が公開されたポルシェ「959」が、いかに時代を先取りしていたかを誇張なしで説明するのは難しい。959はパフォーマンスに妥協することなく、コスト制限もない、スーパーカーの最高峰を明確に定義し直したのだ。
ポルシェ959の個性的なスタイリング、驚異的なパフォーマンス、そして斬新な技術革新は、たちまち全世界・全世代の自動車愛好家たちを魅了。とくに、巷の少年エンスーたちにとっては「ピンナップカー」として憧れの対象となった。
ヘルムート・ボット博士とマンフレート・バントル技師が率いるヴァイザッハのエンジニアリングチームには、自由な発想でこのクルマを開発することが許された。それは、世界で最も先進的で高性能なスーパーカーを開発すること。
ポルシェのエンジニアたちは、あらゆる部門で革新的なテクノロジーを投入し、コストを度外視して比類なきパフォーマンスの実現を目指す。2基のシーケンシャル式ターボチャージャー、最先端のアジャスタブルサスペンション、「インテリジェントな」可変トルクスプリット式4輪駆動システム、ケブラー複合材によるボディパネル、中空スポークのマグネシウムホイールなどの新機軸が盛り込まれたこのモデルは、まさしく「ゲームチェンジャー」と呼ぶに相応しいものだった。
ポルシェ959の総生産台数は292台
しかし、もとより実験的要素の強いモデルだったことから、生産台数はポルシェAGの公式データによると292台(ほかに283台説など諸説あり)に過ぎない。
バントルとともに959を試乗した著名なジャーナリスト、北米『Car and Driver』誌の元テクニカルディレクター兼編集長だったチャバ・チェーレはこう言った。
「ポルシェは全生産台数を完売してしまった……。アメリカ仕様に作られたものは1台もない」
それでも、959をアメリカ合衆国内で誰もはばかることなく走らせたいと夢見るアメリカ人エンスージアストがいた。かのラルフ・ローレン氏とラリー・ヘドリック氏、そして今回の主役である959を最初に入手したノーマン・ストーン博士の3人である。
この3人は公道で959を楽しめるよう、アメリカ連邦政府と特別免除の交渉を行った。1992年10月に交渉がまとまるまでに、3人はそれぞれNTHSA(米国運輸省道路交通安全局)に5万ドル、コネチカット州ダンベリーの「アメリスペック(AmeriSpec Corporation)」社にEPA(環境保護局)排ガス規制に適合させるための改造費として、さらなる大金を。そしてワシントンD.C.でのロビー活動のために、まさに山のような現金を支払ったとされているのだ。
アメリカで特別なヒストリーを辿った個体
このほどRMサザビーズ「The Dare to Dream Collection」オークションに出品されたのは、この魅力的な自動車愛好家の物語に登場する、特別な959の1台である。
1988年3月17日にツッフェンハウゼン工場にて完成し、西独ボンのディーラー「MAS(Meyer Automobile Service)KG」社に新車として販売。その3カ月後、この959は西海岸の著名なアートコレクターであり、心理療法士で慈善家、そしてポルシェ愛好家でもあったノーマン・クレメント・ストーン博士へと引き渡された。
残されている資料によると、ストーン博士は西ドイツのツーリストパスを使ってこのクルマの引き渡しに立ち会い、その後1988年6月27日にラルフ・ローレンの959と一緒にニューヨーク港に輸入された。両車はその後、アメリスペック社に保証金とともに送られ、アメリカの排ガステスト用に改造されたという。
テストに成功したあと、ストーン博士は東海岸コネチカット州のアメリスペック社から959を引き取り、ポルシェのスペシャリストであるカリフォルニア州サンタアナの「アンディアル(Andial)」社から貸与された同州のディーラープレートを使用して、サンフランシスコの自宅まで横断ドライブを敢行した。さらに驚くべきことに、博士は1989年1月までに、この959を9000マイル(約1万4500km)近く走らせたという。
その後25年間にわたり、博士はアンディアル社と、同じくカリフォルニア州スコッツバレーの「カネパデザイン(Canepa Design)」の両社に委ね、このクルマを熱心にメンテナンスした。
1989年まで遡る膨大なサービスインボイスを見れば、この特別なポルシェがいかに楽しまれ、大切にされていたかは疑いようがない。2001年8月、ストーン博士は愛車959の純正パーツが不足することを懸念し、アンディアル社にポルシェへ直接4万5000ドル分のスペアパーツを注文させている。
959は狭いながらもリアシートがあり、「正しく整備されていれば」という条件付きながら、非常に使い勝手の良いクルマとしてエンスージアストたちの間で知られている。だから、現在では当時のほかのスーパーカーと比べても遜色のない走行距離を記録している個体も決して少なくはない。ポルシェのCEOである故フェルディナント・ピエヒや、WRC選手権を制したアウディ・グループBのワークスドライバー、ヴァルター・ロール氏も、この素晴らしいスーパーカーを日常的にドライブしていたといわれている。
実際、ストーン博士もこの959を15年以上にわたって日常の足として愛用し、2009年にサスペンションのオーバーホールとメカニカル診断のために「カネパ」に委託した際には、オドメーターは6万8000マイル(約10万9000km)以上を示していた。
2014年に大規模アップグレードを施している
2013年、この個体は「カネパ・サスペンション・アップグレード・パッケージ」により、複雑なOEM油圧調整式サスペンションを「ペンスキー(Penske)」の特注バルブつきショックアブソーバーとチタン製コイルオーバースプリングなどに交換した。これはほかのサービス作業と合わせて実施され、総額は5万1000ドルを超えたとのことだ。
そして2014年6月、ストーン博士はこの959を「The Dare to Dream Collection」に譲渡すると、同コレクションのオーナーであるマイルズ・ナダル氏は、この959を早々にカネパデザインへと返送。14カ月におよぶ内外装のフルレストアと28万5000ドルに相当するアップグレードを開始させた。カネパの誇る640psの「フェーズII」仕様に生まれ変わるまでの各ステップは、請求書に記された詳細なファイルとともに記録されている。
これらの大規模アップグレードには、専用の「モーテック(MOTEC)」ECUと新造したワイヤーハーネス、カスタムエキゾーストシステム、新品の高効率ターボチャージャー2基、カネパデザイン製のヘッドライト、アップグレードされたイグニッションと電気系統、インタークーラーとウェイストゲートの改造、そしてすでに伝説的であったスーパーカーに、より速く、よりダイレクトで、より快適なロードゴーイングキャラクターをもたらすための、さらなる改良の数々が含まれていたという。
このポルシェ959について、RMサザビーズ北米本社は110万ドル(約1億7310万円)~150万ドル(約2億3600万円)のエスティメート(推定落札価格)を設定した。これは、現在の相場におけるポルシェ959「コンフォート(Komfort)」としては若干ながら低めなのだが、それはこの個体の改造の範囲が大きいことを意識したものと思われる。
また、今回の「The Dare to Dream Collection」オークションは、すべて「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」形式で行われるというのが前提条件。したがって、たとえ入札が希望価格に到達しなくても落札されてしまう「リザーヴなし」で出品されることになっていた。
魅力的なヒストリーの持ち主とはいえ、走行距離が多いうえに現代的な改造が施されているということで「リザーヴなし」ではかなり安価に落札されるリスクもあったはずだが、実際の競売が終わってみればエスティメート上限を上回る168万2500ドル。日本円に換算すると、約2億7200万円というなかなかのプライスで、競売人の掌中の小槌が鳴らされることになったのだ。