名車チェリーX-1Rを「ジタン」仕様でアレンジ
時代は高度成長期のまっただ中、日本の自動車産業はニューモデル開発競争が激化し、トヨタは「カローラ」を、日産は「サニー」を軸に「より大きく」「より豪華に」をテーマとして経済成長に歩調を合わせて突き進んでいました。そんな中、1970年に日本人の多くが愛する花として知られる「桜」のように成長してほしいという願いを込めて登場したのが日産「チェリー」でした。杉山典永さんの愛車は上位モデルとなる1974年式の初代KPE10型「チェリークーペX-1R」です。どのようなクルマなのでしょうか。
FR絶対主義を覆したFFのチェリー
1970年10月に発売された日産「チェリー」によって、それまでFR車(フロントエンジン・リアドライブ)絶対主義だった考えが変化し、FF車(フロントエンジン・フロントドライブ)の優れた価値と可能性が大衆車の面からも、また、モータースポーツの面からも見出され、時代に大きな変化をもたらした。
千葉県野田市在住の杉山典永さんの愛車は1974年式のKPE10型「チェリークーペX-1R」だ。日産初のFF車として生まれたチェリーは、FRの1500ccクラスに匹敵する居住性と、優れた動力性能を持つクルマとして登場した。
エンジンを横置きとして、ドライブシャフトを短く設定し、トランスミッションとデフといったパワートレイン系を一体化させるFFならではの構造は、製造コストも抑えられ、また、室内を広く取れることでゆとりのある設計となっていた。
車種展開は、A12エンジンを搭載する高性能グレード「X1」を頂点とし、「GL」「デラックス」「スタンダード」を用意。当時の人気車種であったサニーよりも若干安い価格で販売されたという記録も残っている。
1971年9月には、全高がセダンよりも低く、全長が延長された3ドアクーペモデルが登場。大きなリアゲートに独特の形状のクオーターピラーにマッハラインを組み合わせたエクステリアは、プレーンバックスタイルと呼ばれ、オリジナリティあふれるチェリーを象徴する造形となった。
このクーペモデルに関しては、デビュー直後からセダンよりも圧倒的に人気が高く、とくに若年層にとっては注目すべき存在となった。その理由は、当時、注目を集めていたモータースポーツの影響が大きかった。
「タックイン」などFF独自の走りを発揮してレースで活躍
1971年10月に開催された「富士マスターズ250kmレース」、これがチェリークーペX1のデビュー戦となった。日産はワークスマシン3台を投入し、このレースにおいてチェリーは、予選で見事にポールポジションを獲得。また、決勝レースは激しい雨となり、FR勢が大苦戦する中、FF車である黒澤選手、都平選手が駆るチェリーだけは安定した走りを見せつけて見事なワンツーフィニッシュを飾り、各メディアにも大きく取り上げられた。
その後もチェリーの活躍は凄まじく、TSレースでは同型エンジンを積む後輪駆動のサニーとともに、圧倒的な強さを見せつけ大活躍した。また、このチェリーTS仕様に関しては当時、大森ワークス所属だった星野一義選手の走り方にも注目された。それは、ドライビングに興味を持つ人なら一度は耳にしたことがあるFF車の特性を活かした走行技術「タックイン」である。具体的には、コーナリングでクルマの向きを変える際に、瞬間的にアクセルを緩め、ブレーキを踏み、フロント荷重を発生させた状態から同時に鋭くステアリングをコーナーの内側に切り込むことで意図的にリアタイヤをスライドさせる走法のこと。
このFF車でしかできないタックイン走法を得意とし、コーナーに応じて巧みな技を使って誰よりも速くサーキットを駆け抜け数多くの勝利を収めたのが、みんなも良く知っている星野一義選手だった。当時はまだワークスドライバーではなかったが、その速さから「チェリーの星野」とも呼ばれ恐れられていた。
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