強盗や殺人などを繰り返した実在のカップル
1930年代にアメリカ中西部で強盗や殺人を繰り返した犯罪者にもかかわらず、銀行や富裕層ばかりを狙ったためか庶民からの人気が高かった犯罪者カップル、クライド・バロウとボニー・パーカー。この2人の出会いから犯行に逃走、そして壮絶な死までを描いた映画が『俺たちに明日はない』です。この映画で重要な劇中車は一体……?
犯罪集団「バロウ・ギャング」を結成
映画『俺たちに明日はない』(1967年)は若干の脚色こそあれど、ストーリーは大筋において史実に基づいており、アメリカン・ニューシネマを代表する作品として高く評価されている。彼らが出会った時期は諸説あるが、有力なのは1930年1月5日。そのときクライドは20歳でボニーは19歳という若さだった。クライドは4年前の時点で逮捕歴がある札付きのアウトローだったが、ふたりが組んで初めて犯罪に手を染めたのは1932年4月のことだった。
翌1933年には、クライドの兄であるバックとその妻ブランチらが加わり、犯罪集団「バロウ・ギャング」として州をまたいで犯行と逃走を繰り返していく。当時は警察が追跡および逮捕できるのは管轄する州内に限られ、州境を越えてしまった犯罪者には手出しができない状況だった。
逃走に選ばれたのは高性能エンジンを積んだフォード「V8」
法の死角を利用するため、ボニーとクライドは高性能のエンジンを積んだクルマを用意した。それが1932年に発売されたフォード「V8」だ。当時の市販車ではトップクラスの加速力を誇るモデルで、警察の車両といえども簡単には追いつくことができなかった。当時のフォード社へ「高性能なクルマのおかげで仕事がしやすく感謝している」といった内容の手紙を送ったとも言われている。バロウ・ギャングがさして緻密とは思えない犯行を4年も続けることができた一因にはフォードV8の存在があったに違いない。
また上記の手紙に代表されるユーモラスな行為が世界恐慌で貧困に苦しむ民衆を喜ばせたり、さらに人質にした警官を遠く離れた場所で解放するような義賊めいた行動をする面もあった。しかし警察にもメンツがある。徐々にメンバーが逮捕されるなど包囲網が狭まり、追い詰められた彼らは次第に凶悪性を高めていく。
当然ながらそれは大衆からの人気を失うことに直結し、密かに逃走を手伝ってくれる協力者も減っていった。まずは警察との銃撃戦でバックが死亡し、ブランチもケガで両目の視力を失い離脱。孤立したボニーとクライドに死が訪れたのは1934年5月23日、ルイジアナ州のギブスランドから南へ向かう州道154号線。残り少なくなった仲間のひとりアイビー・メスヴィンを訪ねていくが、彼はすでに裏切っており待ち合わせ場所には6名の警官隊が潜んでいた。