素性がはっきりしたディーノ246GTS
2024年5月31日〜6月1日にRMサザビーズがカナダ・トロントで開催したオークションにおいてディーノ「246GTS」が出品されました。アメリカ仕様としてカナダで1974年1月に登録された同車は、数人のオーナーを経て2020年に今回の出品者の手に渡りました。走行距離は1万616kmとローマイレージですが、しっかりと整備された1台です。
エンツォの息子が開発に大きく貢献したエンジン
この原稿を書いている時点で、『フェラーリ』というタイトルの映画が上映中である。フェラーリの創立者であるエンツォの人間的内面を中心として描いた映画だが、大きな影響を与えたのが愛息アルフレード(ディーノ)の死であったことがこの映画でも如実に描かれている。
ディーノはエンツォの初めての子どもとして1932年に生まれた。当時まだレーシングドライバーであったエンツォ・フェラーリは、ディーノの誕生でレーシングドライバーとしてのキャリアを終える。ディーノはわずか24年で筋ジストロフィーが遠因となりこの世を去るのだが、もともとエンジンに強い関心を持っており、1955年には1.5L V6エンジンの開発を父に提案する。そして1955年からフェラーリに在籍していたエンジニア、ヴィットリオ・ヤーノとともに働き、V6エンジン開発にあたっては大きく貢献したのである。
残念なことにアルフレードがこのV6エンジンの完成を見ることはなかったが、完成した1.5L V6エンジンはエンツォによって「ディーノ」と名付けられた。このエンジンは当時のF2マシン、「156」に搭載され好成績を残す。そして1958年には排気量を2.4Lに拡大し、F1マシンの「246」に搭載され、見事この年のワールドタイトルをマイク・ホーソンが獲得するのである。その後もこのV6エンジンは1960年代前半まで多くのレーシングスポーツカーにも搭載されている。
1960年代中盤、FIAはF2エンジンのレギュレーションを6気筒以下とし、そのエンジンは年間500台以上作られるロードカーの量産エンジンベースでなくてはならないと定めた。フェラーリが手持ちのディーノ・エンジンは量産ベースではない。しかも当時のフェラーリにとって年間500台の生産はあまりにも敷居が高すぎた。
フェラーリ初の量産V6エンジンを搭載
そこでエンツォは一計を案じ、フィアットと契約して年間500台のエンジンを量産し、それをフィアットのGTモデルに搭載するという奇策に打って出る。こうして誕生したのが「ファット ディーノ」。そして同時に誕生するのがディーノ「206GT」である。アルフレードが関与した最初期の65° V6エンジンは、ヴィットリオ・ヤーノによって60° V6に変更されていたが、2Lのアルミ製DOHCエンジンはアルフレードのアイデアが息づいていた。
ご存じの通り、完成したディーノ206GTにはフェラーリの名はない。しかし、紛れもなくフェラーリであり、フェラーリ初の量産V6エンジンを搭載。しかもラック&ピニオンのステアリングも採用されていた。美しいボディはピニンファリーナによるもので、ルイジ・キネッティが主宰するキネッティ・モータースの元マネージャーであり、スタンダードカタログ・オブ・フェラーリの著者であるマイク・コヴェッロはフェラーリのカタログには次のように記している。
「これほど曲線的な形状のストリート・フェラーリを他に挙げるのは難しいでしょう。豪華さに欠ける部分は、優れたドライバーが必要とする適切なツールで十分に補われています。車両重量のほとんどが後輪上にあるため、ステアリングはダイレクトで応答性に優れています。ディーノ246はハードコーナリングを楽しめます。ミッドエンジンレイアウトとサスペンションの適切なセッティングにより、ディーノはドライビングが楽しめるのです」