日本人スタイリストがデザインワークを主導したボディ
いっぽう、BMWのデザイン部門に1988年から籍を置いていた日本人スタイリスト、永島譲二氏がデザインワークを主導したとされるボディは、1950年代の傑作ロードスター、BMW「507」をモチーフとして21世紀的な解釈を加えたレトロモダン調とされた。
当初は2シーターのロードスターのみとされたものの、1998年初頭にはリア周辺のデザインを含むマイナーチェンジが施されるとともに、Z3 2.8にはロングルーフスタイルの2シータークーペ版も追加されることになる。
誕生当時こそZ3クーペのデザインはいささか物議をかもし、「ピエロの靴」や「ブレッドバン(パン屋のバン)」などというありがたくないニックネームも奉られたが、発売から四半世紀余りの時を経た現在では、この個性あふれるスタイリングもある種の魅力として受容されているようだ。
その後、Z3/Z3クーペの主軸は「ライトシックス」6気筒へと移行し、「Z3 2.0(のちにZ3 2.2iに進化)」や、日本へは未導入ながら「Z3 2.3(のちにZ3 2.5iに進化)」も設定。またZ3 2.8は「Z3 3.0i」へと進化と遂げる。
Mを冠する正真正銘のホットロッド
しかし、Z3といえば忘れてはならないのが、「Z3 Mロードスター」および「Z3 Mクーペ」の存在であろう。1999年のデビュー当時には、単に「Mロードスター/Mクーペ」と命名されていた、この最強のZ3と標準型Z3シリーズとの最大の違いは、長いノーズの下に「BMW M」謹製のパワーユニットを積んでいたことである。
2代目M3(E36後期型)に搭載されていた、3.2Lの直列6気筒DOHC 24バルブ。最高出力321ps/7400rpm、最大トルク350Nm/3250rpmを発生する「S50B32」型エンジンを詰め込んでしまったZ3 Mロードスター/クーペは、0-100km/h加速タイム5.4秒、最高速度250km/hオーバーという、正真正銘のホットロッドとなったのだ。
BMW Z3とそのファミリーは、事実上の後継車である「Z4」にあとを譲るかたちで2002年に生産を終えるまでに、30万台弱がスパータンバーグ工場からラインオフした。この種の2座席スポーツカーとしては、なかなかのヒット作だったと判定してよいだろう。