GTOスタイルのフェラーリ250GTルッソ
2024年6月12日、RMサザビーズ欧州本社は、その本拠のあるロンドンからほど近いバークシャーの田園地帯に建てられた、17世紀のマナーハウスを改装した壮麗なホテル「クリブデンハウス」を会場として、「Cliveden 2024」オークションを開催しました。今回はそのなかからフェラーリ「250GTルッソ」こと「250GT/Lベルリネッタ」を紹介します。じつはこの250GTルッソ、圧倒的なまでにエレガントな美しさで知られるスタンダードのルッソとは一線を画した、かなり変わり種のボディと来歴を有する1台だったのです。
もっとも美しいフェラーリと称されるルッソとは?
フェラーリ「250GT/Lベルリネッタ」は、「250GT-TdF」や「250GT-SWB」などコンペティツィオーネとして開発されたシリアスなスーパースポーツと、「スーパーアメリカ」系に代表される大型ラグジュアリーカーの中間に位置する、あるいは良いとこどりともいえるモデル。イタリア語で「ラグジュアリー」を意味する「ルッソ(Lusso)」と呼ばれることが多い。
1962年のパリモーターショーでプロトタイプとして発表された、この見事なスチールボディ(開口部はアルミニウム製)のクーペは、1964年後半まで生産された。そのほとんどは、フェラーリの工場で仕上げられる前にスカリエッティによって架装された、現在では古典ともいうべきピニンファリーナ製デザインで構成されている。
250GT/Lルッソは、シチリア島で開催される伝説的な公道ロードレース「タルガ・フローリオ」の1964年版にて、プライベートエントリー車が総合13位に入賞するなど、コンペティションで成功を収めたこともあったが、その本質は高速かつラグジュアリーなロードカー。アウトストラーダをはじめとする公道や都市部において最高のパフォーマンスを発揮するように設計されていた。
パワーユニットは、すでに複数の「250」で実績のある2953ccのコロンボV12。各シリンダーバンクに1本ずつのオーバーヘッドカムシャフトを備え、前進4速のフルシンクロギアボックスと組み合わされる。
ベースとなった250GT-SWBよりも若干ロードユース向けにチューンされたこのウェットサンプ式ユニットは、3基のウェーバー社製ツインチョーク式キャブレターを装備。7500rpmで240psを発揮するという、当時もっともパワフルな市販スポーツカーのひとつで、最高速度は150mph(約240km/h)にわずかに届かないところまで及ぶものだった。
フェラーリ愛好家を惹きつけている最大の要素はスタイリング
しかし、ルッソが今日に至るまで尊敬を集めているのは、性能の高さだけではない。跳ね馬のバッジを冠したクルマのなかで、もっともエレガントなフォルムを有するモデルのひとつと称されるスタイリングこそが、今なおこのクルマを愛してやまないフェラーリ愛好家を惹きつけている最大の要素といえるだろう。
キャビンを構成する典雅なスウィープラインと、優美なカーブを描いたリアスクリーンが織りなすボディラインは、最終的にはファストバックから「カムテール」あるいは「コーダ・トロンカ」へと流れていく。フロントには、シャシーを共有する250GT-SWBベルリネッタよりもさらに低くて長いノーズと、3分割された個性的なバンパーが設えられ、独特のエレガンスを醸し出している。
そしてこの耽美的な美しさを証明するかのように、スティーヴ・マックイーンが初めてのフェラーリとして選択したほか、「帝王」と呼ばれた世界的指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンも愛用するなど、世界中のセレブリティたちの美意識を大いに刺激したのだ。
4リッター版GTOへのトリビュートスタイルに大改造!
このほどRMサザビーズ「Cliveden 2024」オークションに出品されたフェラーリ250GT/Lベルリネッタ、シャシーナンバー「4383」は、350台が生産されたというルッソの16台目とされている。
フェラーリの世界的権威、マルセル・マッシーニ氏の記したレポートによると、この個体は「グリジオ・アルジェント(シルヴァーグレイ)」のボディに「ネロ(黒)」のコノリー社製レザー内装の組み合わせで、1963年3月20日にマラネッロ工場からラインオフ。4月4日にボローニャのフェラーリ正規ディーラー「ソチエタ・イタリアーナ・ヴェイコリ・アグリカルチュラル・エ・モトーリ」社に引き渡され、その5日後には575万イタリアリラという高額で、初代オーナーであるルチアーノ・ペデルツァーニに納車された。
ルチアーノと弟のジャンフランコは、そのわずか2年前に「TECNO(テクノ)」レーシングチームを共同で設立していた。もともとはレーシングカートを製造していたが、のちにフォーミュラ3マシン製作にも進出。ちょうどこのルッソを所有していた1967年シーズンには65戦中32勝を挙げるなど、コンストラクターとしての成功を収め、さらに1970年代には、自社製フラット12エンジンとともにF1グランプリにも進出する。ちなみにF3における最初の勝利は、のちにフェラーリとともにF1レースで大活躍するクレイ・レガツォーニの操縦によるものだった。
この間、シャシーナンバー4383はモデナにあるフェラーリ本社工場の「アシステンツァ・クリエンティ(顧客サービス部門)」によってメンテナンスされた。1964年2月に、ボローニャのナンバー「BO 179199」で登録されたのだが、その後このクルマはオリジナルの仕様から変身を始め、現在の唯一無二のスタイルに至る第一歩を踏み出してゆく。
まず、1965年ごろに250GTルッソの後期型エンジン(5193GT)に換装されたのち、ペデルツァーニ兄弟はTECNO製マシンのボディワークを担当したカロッツェリアを訪れ、愛車ルッソの部分的なボディ変更を依頼する。その工房とは、マセラティでは「A6GCS」から「250F」に至るまで、フェラーリでも「156F1」や「ディーノ166P」など一連のレーシングカー製作で大成功を収めていた「メダルド・ファントゥッツィ」である。
いっぽうペデルツァーニ兄弟の目的は、フェラーリで4台が製作された純コンペティツィオーネ「330LMB(250GTOの4L版)」のうち、250GT/Lルッソに近いボディラインを持つ「4381SA」や「4453SA」に似せるためのモディファイ作業を、フェラーリ製コンペティツィオーネ経験の豊富なファントゥッツィに委ねることだった。
F1マシンも製作するだけの高い技術力を有していたファントゥッツィにとっては、この種のボディ改装は容易なことだったようで、彼らはより小型で丸みを帯びたグリルを採用し、3ピースのバンパーをグリル左右の2ピースに変更。さらにヘッドライトをより後方に配置し、プレクシグラス製の透明カバーでフェアリングを施した。
Top Gearでおなじみクリス・エヴァンスが一時所有したヒストリーも
こうして唯一無二の存在となったこの250GT/Lルッソだが、完成から数年後の1968年にはアメリカのニューヨークへと輸出。また5年後に、再びニューヨーク市内で販売された。さらに1976年、テキサスを拠点とするフェラーリ愛好家のもとに譲渡。新しいオーナーは、フロントグリルの上に250GTOスタイルのエアインテークを3つ、リアホイールアーチの後方にも250GTOからインスピレーションを得たと思しきエアベントを追加したうえで、ボディカラーを赤く再塗装した。
翌年、新たなオーナーによってこの個体はホノルルに運ばれ、その後28年間をハワイで過ごすことになった。2005年、ルッソはアメリカ本土に戻り、サンフランシスコを拠点とする新しい所有者が、その年の「モントレー・カーウィーク」に展示している。
そして2011年、シャシーナンバー4383は英国に送られ、世界的に著名なフェラーリスペシャリスト「DKエンジニアリング」でフルレストア。いわゆる「コンクールスタンダード」のもと、250GTOの金型と図面が正確に縮尺され、ワンオフのアルミ製ボディワークも忠実に仕上げられた。この車両は翌年にもDKエンジニアリングに戻され、メカニカルなリビルドが施されるとともに、クラシックなフェラーリ・レッドにタン革のインテリアで仕上げられた。
その後、2013年に開催された「フェラーリ・オーナーズ・クラブGB」の年次総会で「ウォルトンホール」に展示されたあと、フェラーリの熱心なコレクターであるラジオ/テレビ放送作家兼司会者のクリス・エヴァンスに売却されたが、ほどなくクラシック・フェラーリ専門店の世界最高峰と評される英「タラクレスト」社を介して、今回のオークション出品者でもある現オーナーの手に渡ることになった。
そして2015年には「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」の「カルティエ・スタイル・エ・リュクス・コンクール」の芝生広場に展示されたほか、「グッドウッド・リヴァイヴァル」内の「アールズコート・モーターショー」復活イベントでも、フェラーリへのトリビュート展示「シーイング・レッド」の一部として登場した。
この250GTルッソは現在でも「GTOエンジニアリング」によって継続的にメンテナンスされ、多くのインボイスが保管されている。1960〜1970年代のレースシーンにおける重要なキーパーソンがオリジナルオーナーであったにとどまらず、最近では英国でもっとも有名なメディアパーソナリティのひとりであるエヴァンスによって所有された時期があるなど、説得力のある継続的な歴史を誇っている。
今回の出品に際して、RMサザビーズ欧州本社では「この250GT/Lベルリネッタは、ファントゥッツィが手がけた初期のボディワークにより、すでに特別な希少モデルとなっており、真にユニークなオーナーシップの提案となっている」という謳い文句を添えて、110万ポンド~150万ポンド(約2億1700万円〜2億9600万円)という自信たっぷりのエスティメート(推定落札価格)を設定した。
そして迎えた競売では、エスティメートの範囲内に辛うじて収まる113万ポンド。すなわち、現在の為替レートで日本円に換算すれば約2億2300万円という落札価格で、競売人のハンマーが鳴らされることになったのである。