6台しかないブガッティ「ロワイヤル」が展示
そんなわけで、ようやく博物館に着いたものの、時間がなく慌てて三脚を立てながら撮影を始めたのだが、あまりの膨大さにいったい何を撮ったらよいやら、ただただ唖然とするばかりであった。ホントは収めたはずのブガッティ「タイプ32タンク」の写真などは未だに見つからない。
じつは博物館は実際にはオープンしておらず、ストライキをしていた工員たちの手によって、このミュージアムが白日の下にさらされたというわけで、いわゆる募金的にお金を払うと中に入れてくれる仕組み。だから、館内にはせいぜい数人がいただけ。まあ見事なほどクルマは汚れていて、おまけにフランス語がわからないので、正確に何が書いてあるか解らなかったけれど、コレットは月1500フランしかもらってなかった……みたいなことがクルマのウインドウに貼り紙がしてあった時代である。
今、この博物館はフランス・ナショナル・モーターミュージアムとして開館しているが、その雰囲気は初めて行った当時とは大きく異なっている。圧巻はやはりおびただしい数のブガッティ。とくに全部で6台しか作られなかった「ロワイヤル」のうちの2台がここにあり、まさに3台目を残っていたパーツから組み立てる最中に工場倒産、兄弟のバックレが起きたというわけだ。
個人の持ち物から今は組織化された国の財産に変わったことで、展示車両もだいぶ発見された当時とは異なっていて、公式ホームページを見ても、案外見慣れたクルマが多く展示されているように感じるが、1970年代当時はまさに見たこともないクルマがこれでもかというほどあって、私はここで生まれて初めて「ヴォアサン」というクルマを見たり、イスパノ「スイザ」やイソッタ「フラスキーニ」というクルマを見たりできた。時間が無くて最後まで粘ったのは私だけ。「あんたいい加減にしなさいよ」という感じで言い寄ってきたので、一緒に写真を撮って和んでもらい、少しの時間延長してもらったことを覚えている。
残念ながらかなりの数の写真が紛失して無くなっている。探してはみたものの、引っ越しをしたり、コンピューターを変えたりしているうちにどこかに紛失してしまったのだと思うが、残念だ。同じ場所には都合3度行き、3度目は今と同じナショナル・モーターミュージアムになっていたけれど、その時の写真も2度目の写真も見つからない。というわけで今回は残っている写真の数々を見ていただこうと思う。
■「クルマ昔噺」連載記事一覧はこちら