ピュアEV「スペクター」は「ファントムIII」のコードネームに由来
またロイスが好んでいた軽量ボディを装備することで、最高速度は161km/hに達することができた。ロイスは実験版エンジンの完成までは見届けることができたが、最初のテストカーが完成する1年前の1933年4月に残念ながらこの世を去った。そして1934年から1937年にかけて、実験モデルのファントムIIIがコードネーム「スペクター」として10台製造された。この伝説的なクルマの名は、現在のロールス・ロイス初のピュアEV「スペクター」にも受け継がれている。
1936年8月には、H.J.マリナーによって製作されたサルーンボディを持つ量産モデルのファントムIIIが初めて納車された。1939年にロールス・ロイスが自動車生産を終了するまで710台生産され、最後の1台は1940年6月に購入された。
ロールス・ロイスの役員たちは、また平和が戻ればまったく異なる世界で事業を展開することになること、そしてそこにファントムIIIのような自動車の居場所はないことを知っていた。おそらく1918年当時よりもさらに、ロールス・ロイスに期待される品質と洗練の基準を継続しながら、より時代にマッチしたモデルに力を注がなければならなかっただろう。
このモデルは技術的な素晴らしさ、卓越したパフォーマンス、そしてさらなる発展への計り知れない可能性があったにもかかわらず、短命であった。しかしその影響は、現在もV型12気筒エンジンを搭載したモデルを含め、すべてのロールス・ロイスモデルに受け継がれている。それはファントムIIIの卓越したデザインとエンジニアリング、そして生みの親であるロイスの先見の明の不朽の証である。
AMWノミカタ
フォントムIIIは初めてオールアルミ製のV12気筒エンジンが搭載されただけではなく、当時としてはかなり先進的なメカニズムを持ったモデルであった。まず、フロントサスペンションに独立懸架式のダブルウィッシュボーンが採用された。このサスペンションの特徴は、コイルスプリングと油圧ダンパーをオイルに満たしたハウジングの中に収め、スピードに応じてエンジン駆動のオイルポンプによりダンピングレートを変化させることができた点である。文中には「劣悪な路面で発生する騒音、振動、ハーシュネスの伝達を大幅に低減する細やかな技術的進歩」とあるが、このサスペンションに拠るところが大きいのであろう。
現在、ロールス・ロイス初のBEVモデルの名前である「スペクター」は、1930年代でもっとも静かでなめらかな乗り心地を実現したというファントムIIIで10台だけ作られた実験的モデルの「スペクター」に由来しているという。名前だけはでなく、卓越したデザインに最先端技術を搭載し、静粛性や快適性を追求したヘンリー・ロイス卿の想いは現代の「スペクター」に継承されている。