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まだ手が届くランボルギーニは「ウラッコ」でした…予想落札価格の半分の約1300万円で落札! いつかは人気が出て買えなくなるかも!?

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: Bonhams

メーターの位置が特徴的だったウラッコ

かつて1度だけ乗ったことがあるウラッコは、はたしてそれがP250だったかP300だったかは記憶にないが、とにかくメーターの位置が特徴的だった。かなりワイドなメータークラスターは1番左端にタコメーター、そして1番右端にスピードメーターが鎮座し、その間に少し小ぶりの6つのメーターが並ぶ。

ステアリングは極端なディープコーンタイプ。このため、いわゆるステアリングコラムがダッシュボードの中にあって露出していない。だから、本来ステアリングコラムから生えるはずのウィンカーレバーなどが、コラムではなくせり出したダッシュボードから突き出しているのが特徴的であった。

P300の生産台数は205台

タンというかキャメルカラーのシートにチョコレートブラウンのバックスキンダッシュボードを持つ内装と、ブラックの外装色を持つ個体、シャシーナンバー「20024」は、1974年10月に完成した。

デビューしたのが1974年のトリノショーであることを考えると、まさに最初期のモデルである。合計で791台が生産されたウラッコのうち、P300の生産台数は205台。520台が生産されたP250と比べると生産台数は半分にも満たない。これもオイルショックの影響なのだろうか。ちなみにP300の生産自体は1974年から1979年である。

この個体、完成当初はパールメタリックに塗装されていたそうだが、2015年にドイツに渡り、そこで黒に塗り替えられたものだ。いわゆる初度登録はスイスで、1976年7月1日であった。2014年にスイスの有名なランボルギーニ・ディーラーであるMax Bobnarがこの個体を購入。そしてドイツに渡り再塗装とリフレッシュを受けている。状態は最良で、さまざまなサービス書類や証明書などとともに、冒頭に記したヒストリアン、オリヴィエ・ナメッシュによるレポートも付属している。

ボナムズが掲げたエスティメート(落札予想価格)は、12万〜16万スイスフラン(邦貨換算約2036万円〜2715万円)だった。いざオークションがスタートしてみると、そこまでビッド(入札)が伸びずに7万5900スイスフラン(邦貨換算約1287万円)で売却されている。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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