1972年式 スズキ フロンテクーペGX
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回は、軽自動車初の本格的スポーツカーとして知られるスズキ「フロンテクーペ」を主役に選び、そのモデル概要とドライブインプレッションをお届けします。
群雄割拠の360cc軽自動車たちとは一線を画したスポーツカー
1967年にホンダが31psを標榜する「N360」を発売して以来、日本の軽自動車業界は「パワーウォーズ」に突入。「スバル360 ヤングSS」やホンダ「N360T」系、鈴木自動車(現スズキ)「フロンテSS」など、リッターあたり100psに相当するモデルが続々と出現したうえに、ダイハツ「フェローMAX SS」では40psをマークするまでに至った。
そして、ホンダが次なる矢として1969年10月に個性的なクーペボディを持つ「Z360」を登場させると、三菱も同年の東京モーターショーに出品させた「ミニカ スキッパー」を1971年5月から正式発売。さらにダイハツも1971年8月から「フェローMAXハードトップ」を投入するなど、軽自動車界ではスペシャリティクーペが一大勢力を築いてゆくことになった。
そんな中にあって、鈴木自動車が1971年9月に正式リリースした「フロンテクーペ」は、デビュー当初「ふたりだけのクーペ」というキャッチフレーズとともに、2シーターのみのラインアップとした。しかも、競技用のパーツも純正オプションとして多数用意されたことから、軽自動車では初となる「本格派スポーツカー」としてのキャラクターが前面に押し出されることになったとされている。
ジウジアーロと鈴木自動車デザインチームの「合作」
そんなフロンテクーペにおける最大の特徴は、巷では「ジウジアーロのデザイン」といわれるスタイリッシュなクーペボディだろう。
「ベルトーネ」および「ギア」でキャリアを築き上げ、現在では巨匠として知られるジョルジェット・ジウジアーロ氏が独立ののち興した「イタルデザイン」社と、鈴木自動車の協業の第1作となったのが、1969年から市販に入った軽商用バン「キャリイ」(L40型)である。またジウジアーロはそのかたわらで、本人いわく「より大きなクルマの縮小コピーに過ぎなかった従来の日本のマイクロカーに変革をもたらす」ことを目的とした、極めてスタイリッシュなコンセプトを鈴木自動車に提唱していた。
それはL40と同じく、ミニマリズム的に簡潔な面構成で仕立てた2ドアのファストバック型セダン。ところが、このイタルデザインのプロポーザル案は時代を先取りし過ぎていると判断されたことから、あくまで「原案」に留められ、鈴木自動車内のデザインチームによってスポーツモデルへと方針転換。設計部門所属の若手デザイナー、内藤安弘氏がより低いスポーツカースタイルへと大幅に手直ししたものを最終デザインとして採用した結果、「フロンテクーペ」として市販されたとのことである。
水冷2ストローク3気筒のエンジンをリアに置き、後輪を駆動するというRRレイアウトは同時代のセダン版「フロンテ」と共通。パワーは当初37ps(JIS)とされたが、のちに34psおよび31psの廉価バージョンも設定されたとのことである。
また、2シーター単一の体制が当時の国内マーケットには受け入れられなかったことから、デビューから5カ月後の1972年2月には2+2版が追加され、早々に主力となってゆく。
そして、1975年に軽自動車の規格が変更された際には、拡幅したボディに550ccのエンジンを載せた初代「セルボ」として翌1976年6月に再デビューを図ったものの、フロンテクーペが純粋なマイクロスポーツだったのに対し、後継のセルボは、主に女性ユーザーをターゲットとしたパーソナルクーペへと路線変更されていたという。