最強最速の黒澤レーシングGT-Rレプリカ
衝撃のデビューから「栄光の50勝」と呼ばれるほどの強さを見せつけてレース界を席巻したのが、「S20」スペシャルエンジンを搭載した第1世代となる日産「スカイライン 2000GT-R」です。ハコスカと呼ばれて今でも伝説となっているマシンを、レースでの栄光に導いたのが黒澤元治選手や高橋国光選手といったレジェンドドライバーです。そのような伝説のマシンとレーサーをリスペクトして、ハコスカGT-Rのレーサーレプリカを製作したオーナーに愛車を紹介してもらいました。
ハコスカGT-R、栄光の50勝の軌跡
1968年8月、S57型からC10型へフルモデルチェンジされた日産「スカイライン」に、1969年2月「スカイライン 2000GT-R」が追加設定される。新たに誕生した第1世代GT-Rに用意されたエンジンは、なんとレーシングプロトR380に搭載されたGR8エンジンの流れをくむ「S20」スペシャルエンジンだった。このR380については当時のレースで負けしらずだったポルシェを打ち破ったことでも広く知られている。
そのパワーユニットが初代GT-Rには搭載された。R380ゆずりのS20エンジンは、直列6気筒DOHCで24バルブという当時としては究極の高度な機構を持っていた。ボア82mm×ストローク62.8mmから排気量を1989ccとし、これにソレックスキャブレターを組み合わせて160馬力というハイパワーを発揮。「6気筒でなければGT-Rにあらず」という伝統はこのときからスタートした。
レースデビューは1969年5月3日。富士スピードウェイでおこなわれたJAFグランプリだったが、初戦にしてワークスGT-Rがライバルのトヨタ「1600GT」を破り記念すべきデビューウィンを飾る。これが「栄光の50勝」の第1歩となる出来事だ。
その後、日本グランプリからはじまった戦いの歴史では、フルインジェクション仕様、ワークスオーバーフェンダーなどのモディファイを加え、レース・ド・ニッポン、富士インターナショナル200マイルなど、白熱のバトルを続けながら栄光の50勝をマークした。この50勝までの道のりは険しかったが、その栄光の多くは黒澤元治選手、高橋国光選手、長谷見昌弘選手といった我々がよく知るレジェンドレーサーたちの功績によって生み出された。
本物のGT-Rで製作したレーサーレプリカ
そんな偉業を成し遂げたレーサーに導かれ、貴重なKPGC10型スカイラインGT-RをGCレーサーとして作り込むのは、山梨県在住の金山さんだ。当時を懐かしく想い、レーサーレプリカとして製作したハコスカは世に数多く存在する。しかし、本物のGT-Rでレプリカ製作に挑んだ車両は数少なく貴重だ。ゆえに、きっちり仕上がった金山さんのマシンには、レースにおいて絶対王者として君臨していた時代を永遠に伝えようとするこだわりを強く感じる。
GCレースファンであれば、金山さんの愛するGT-Rのカラーリングを見ればピンとくるはずだ。50勝までの道のりにおいて、つねに上位争いに関わり、同じチームの高橋国光選手とも熾烈なバトルを繰り広げた名ドライバー黒澤元治選手をリスペクトして製作。これはあまり知られていないが、黒澤元治氏は、かつてハコスカGT-Rの開発テストドライバーを務めていた。世の中的な知名度は50勝目を記録した記念ドライバーである高橋国光氏が一般的に知られているが、レースのこと、ハコスカGT-Rのことを良く知る人にとっては黒澤元治氏との関わりがもっとも長くて深いことは周知の事実だ。
最強最速のストリートマシン
金山さんは、そんな伝説の人物とマシンをリスペクトして自らのハコスカGT-Rを製作。カラーリングも含めて赤白の伝説のマシンを公道仕様として作り込む。
レプリカとして再現性も素晴らしい出来栄えだが、金山さんのこだわりは、見た目もそうだが中身のメカニズムのことをとくに考えて作り込んでいた。搭載するS20型エンジンは、ソレックスφ44mmキャブをセットするだけでなく、フルチューンユニットとしてヘッドチューン、ポート研磨、リセス加工といったメカチューンを施す。そして、タコ足はワンオフのステンレス製で、もちろん等長タイプとして長さを揃えて製作。ストリート仕様というだけでなく、サーキットにおいてもそのポテンシャルを発揮できるように、トランスミッションはR32タイプM用に載せ替え、OSメタルクラッチに機械式LSDで駆動系を強化し固めている。
本気のレースマシン以上のチューニングを施した金山さんのハコスカ・レーシングGT-R。最強最速のストリートマシンとして、このクルマは只ならぬ特別なオーラを放っている。
>>>2023年にAMWで紹介されたクルマを1冊にまとめた「AMW car life snap 2023-2024」はこちら(外部サイト)