「最高速度351km/h」の記録に用いられ、日本でも大公開されたEB110 SS
毎年8月の「モントレー・カーウィーク」では、中核イベントである「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」や「ラグナセカ・モータースポーツ・リユニオン」にくわえて、欧米を代表する複数のオークションハウスが、カリフォルニア州モントレー半島の各地でクラシックカー/コレクターズカーの大規模オークションを開催しています。そんななか、RMサザビーズ北米本社が2024年8月15~17日にモントレー市内で開いた「Monteley 2024」オークションでは、日本と深くかかわりがあり、じつは筆者自身とも少しだけ縁のあったブガッティ「EB110 SS」が出品されました。
伝説のスーパーカー、ブガッティEB110 SSのプロトタイプとなった「S4」とは?
長らく休眠状態にあった自動車ブランドを復活させるのは、並大抵のことではない。しかもそのブランドが「ブガッティ」のように神聖なものであればなおさらのことだろう。
しかし、1980年代後半、イタリアの起業家ロマーノ・アルティオーリ氏は、この難題に敢然と立ち向かった。彼の夢は儚く終わったものの、彼が実現させたハイパーカーはまさに伝説の名車と呼ばれるにふさわしいものだったといえよう。
開祖エットーレ・ブガッティの生誕110周年にデビューしたことから命名された「EB110」は、当時のブガッティ技術陣によって計画されたさまざまなモデルの最初の1台だった。このモデルは、フランスの航空宇宙企業「アエロスパシアル」社との共同開発によるカーボンファイバー製モノコックがテクノロジーの中核。のちに「EB110 GT」と呼ばれるスタンダードモデルには、560psを発生する3.5LのクアッドターボV型12気筒エンジンと6速マニュアルトランスミッション、そしてスーパーカーの世界ではまだ実例が少なかったAWDシステムが組み合わされた。
EB110 SSとしてゼロから製作された最初の1台
そしてブガッティは、EB110の発表から半年後となる1992年春には、さらなるパフォーマンス向上を目指した「EB110 SS(スーパースポーツ)」を発表。このハードコア版EB110では、ボディパネルもアルミからカーボンに置き換えるなどの軽量化により、330ポンド(約150kg)以上の軽量化を実現するとともに、出力を610psまで引き上げた結果、0-60mph(約0-97km/h)加速はわずか3.2秒、最高速度は350km/h以上という、現在でも充分な驚きに値するスペックを標榜するに至る。
現代のスーパーカー/ハイパーカーたちと同様、EB110、とくにSSは、今回のオークション出品車両のごとき重要な個体を含む、一連のプロトタイプを経て進化した。
1992年のジュネーヴ・サロンで発表された最初の「EB110 S(のちにSSに改名)」プロトタイプが、スタンダードのEB110を大幅に仕立て直したものだったのに対して、シャシーナンバーから「S4」の愛称で呼ばれていたというこのナンバー「39004」は、もともと110 SSとしてゼロから製作された最初のEB110だったという。
そして完成後、S4はすぐに新生ブガッティ・ブランドのPRツールとして、またEB110のデザインを完成させるために活用されてゆくことになるのだ。
市販車として世界最速の最高速度351キロを記録
1993年4月3日、ブガッティは東京・赤坂の「アークヒルズ・カラヤン広場」を舞台に開催された同社のブランド公式プレゼンテーションに、3台の「EB110 GT」と「EB112コンセプト」とともにこの「S4」を展示。皇居周辺や国会議事堂前など、都心を走るパレードランにも供された。
伝説的なブランドであるブガッティの復活は、日本国内のみならず世界に向けて発信され、プレゼンテーションは大成功。新生「ブガッティ・アウトモービリ」は、日本における存在感を確固たるものとした。
そして、日本におけるセンセーショナルな初レビューののち、ブガッティ・アウトモービリ本社はS4をいったんイタリアへと戻し、1993年5月29日にはプーリア州レッチェ近郊の有名な高速周回路「チルクイート・ディ・ナルド」へと送り込む。そこでは、EB110こそが世界最速の市販車であることを世界にアピールするため、全社を挙げてのミッションが進められていたのだ。
ここでこのS4は351km/hという、後のこのモデルの公式データとなる最高速度を実際にマークし、EB110が世界最速の市販車であることを証明してみせた。
日本レース界のレジェンド、式場壮吉氏のもとに納められたエピソード
このスピードテストを成功裏に終えたのち、ブガッティ・アウトモービリと同社の日本事務所「ブガッティ・ジャパン」は、伝説的な日本のレーシングドライバー、故・式場壮吉氏のもとに納車するための手続きに入る。この記念すべき個体を式場氏に委ねるのは、かなり早い時期から決まっていたことだった。
1964年の「第2回日本グランプリ」にて、ポルシェ「904GTS」とともに伝説的な優勝を獲得した式場氏は、1960〜1970年代におけるヒーロー。また、レーシングアクセサリーの会社「RACING MATE」を設立したほか、自動車専門誌『カーマガジン』(ベースボール・マガジン社刊)も創刊。当時の「カーキチ」たちにとっては、単なる憧れという以上のレジェンド的存在だった。
そしてブガッティ・アウトモービリ、および開祖の芸術性を活かしたアパレル&ライフスタイルブランドである「エットーレ・ブガッティ」両社の公式アンバサダーとなった式場氏のS4は、日本に戻ってきた後も『スーパーCG』誌1993年夏号で特集されるなど国内でのメディア露出も多く、当時の誌面にてご覧になった方もきっと多いことだろう。
AMW独占公開、本社で「ル・マン・スペック」に進化した逸話
さてここから先は、ほかの媒体はもちろん、RMサザビーズの公式ウェブカタログにも記されていない、筆者が独自に知り得たストーリーについてお話しさせていただきたい。
ブガッティ・グループの極東ブランチであるブガッティ・ジャパンに1994年4月から勤務していた筆者は、このEB110 SSが本国で「S4」と呼ばれていたことについては、正直なところ周知していない。しかし、アンバサダーとしてかなりの頻度でわが社に入り浸り、まだ20歳代だった筆者にもしばしば貴重な薫陶を授けてくれた式場氏とともに、このEB110 SSに触れる機会も幾度かはあった。
今からちょうど30年前にあたるこの年のブガッティ・グループは、6月にイタリアで大々的に開催された「インターナショナル・ブガッティ・ラリー」と、ほぼ同じ時期に行われたル・マン24時間レースへの(事実上の)ワークス参戦に湧いていた。
ル・マンに出場したEB110 SS、のちに「EB110 LM」とも呼ばれることになった個体には、ブガッティ社内で「ル・マン・スペック」と呼ばれていた専用チューニングを投与。パワーは市販型よりも低い600psに抑えられていた反面、最大トルクは60.0kgmから75.0kgmまで増強されることになった。
その「ル・マン・スペック」に目をつけたのが、世界最高クラスのコニサーだった式場氏である。この時、彼のEB110「S4」は再びイタリアに送られ「インターナショナル・ブガッティ・ラリー」に欧陽菲菲夫人も伴って参加。その後は、モデナ近郊のカンポ・ガリアーノのブガッティ・アウトモービリ工場にて、当時のブガッティ社の有償保証(車両代金+1000万円)にしたがって最新スペックにアップデートされることになっていたのだが、そこで式場氏からル・マン・スペックへのモディファイを、追加事項として依頼されたのだ。
また、リアバンパーは放熱性を高めるためにまったく新しいスタイルに刷新されるなど、S4は生来の1993年仕様からこの時点における最新スペックにアップデートされて、3度目の日本上陸を果たすことになる。
蛇足ながら、筆者はEB110 GTならば複数の個体を運転する機会には恵まれたいっぽうで、正直にいえば110 SSでの運転経験は「ル・マン・スペック」に改変されて日本に帰還したこの個体を、成田空港の貨物倉庫からの引き取り時に少しだけ移動させた時のみだった。だから標準型110 SSとの比較はできないながらも、EB110全般で指摘された低速トルクの薄さはほとんど感じることなく、4基のターボのトルクの立ち上がりもスムーズ。非常に乗りやすかったという記憶が、今なお鮮明に残っている。
日本人エンスーにとっては輝かしいヒストリーの持ち主だけど……
今回の「Monteley 2024」オークション開催の数カ月前に公開されたRMサザビーズ社の公式オークションWEBカタログでは、「式場氏は余生をS4とともに過ごし、東京で開催される日本ブガッティ・クラブの集まりにS4とともに出席し、2016年に亡くなるまでこのクルマを丹念にメンテナンスしていた」と記されている。でも実際には、2010年前後にさる外資系金融機関の元CEOであった日本人愛好家へと所有権が移行しており、各種のイベントに姿を見せるようになったのも、その2代目オーナーとともにであったように記憶している。
そして次なる所有者に譲渡されたあと、S4はオーストラリアへと輸出され、2019年にはヴィクトリア州ジーロングの「City Auto Group」社によって、すべてのボディパネルの取り外しとクリーニングを含む、大規模なディテールアップが施行された。
さらに、今回のオークション出品者である現オーナーは、2022年にクラッチとブレーキの整備を行ったほか、2024年2月には2万ドル以上の費用をかけて新しい燃料タンクに換装したことなどを記録した請求書を添付し、S4の細心な手入れを続けてきたことを明快に主張していた。
VWグループの傘下で復活を遂げ、「ヴェイロン」や「シロン」の時代となった今世紀初頭以降、一時は忘却の彼方へと去りつつあったアルティオーリ時代のEB110だが、2019年に「チェントディエチ(110)」が誕生したのを契機に、再び脚光を浴びるようになった。
競売では思ったはずほど入札が入らず……
とくにこのS4は、市販型EB110 SSのプロトタイプであったとともに、「最高速度351km/h」というSSのスペックを実際に裏づけた個体そのものという歴史的価値も兼ね備えているという主張のもと、RMサザビーズ側では240万ドル~280万ドル(約3億5079万円〜4億937万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定していた。
ところが、2024年8月17日に行われた競売では期待されたほどにビッド(入札)が伸びず、最終的にはエスティメート下限を大きく割り込む215万ドル、つまり日本円に換算すれば約3億1000万円で競売人のハンマーが鳴らされることになったのだ。
ここ数年におけるEB110 SSのオークション落札実績を見返してみると、300万ドル前後あたりの推移が多かったのに対して、この個体にいくらかでも関りを持った者のひとりとしては少々残念ではあるが、今回の落札価格が少々低めであることは認めざるを得ない。
われわれ日本人のファンにとっては素晴らしいヒストリーを誇りつつも、それはオークション開催国であるアメリカをはじめとする海外のバイヤーにとっては、今なお価格を高騰させる理由にはなり得なかったということなのだろう。