幼少期に与えられたミニカーがきっかけで好きになった!
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。今回は、幼少期から大好きな憧れの1台、メルセデス・ベンツ「300SL」を振り返ってもらいます。大学生時代には強引にエンジンを掛けた過去も……!?
バイト先の屋根付き駐車場に鎮座していた300SL
私は1952年生まれである(古い!)。そして幼いころから大のカーキチであった(ようである)。4歳にして当時の『モーターマガジン』の誌面を飾り、母親に言わせると言葉を覚えたのはマンマの次がブーブーだったというから、自分で言うのもなんだが、ある意味筋金入りだ。
そんなわけだから、家には当時かなりブリキのおもちゃがあった。もちろん自動車である。そんなブリキのおもちゃはおもちゃ然として面白くなかった。だから、父親が初めてミニカーを買ってくれた時はとてもうれしくて、大事にしたことを覚えている。それがディンキー社のメルセデス・ベンツ「300SL」だった。以来、自分の中でスポーツカーと言えばメルセデス・ベンツ 300SLとなり、小学校5年生の時、今に続く趣味のスロットカーを買ってもらった時も、選んだのはメルセデス・ベンツ 300SLだった。
話は戻るがメルセデス・ベンツ 300SLは1952年生まれ。なんとなく勝手に繋がりを感じる。そんな300SLに初めて触れたのが、大学時代のバイト先であった。いつも一番良い屋根付き駐車場に鎮座していて、そこから出てこなかったから、会社の人もこいつが1番偉いと思っていたのかもしれない。ちなみにフェラーリやマセラティは平置きの露天である。もっとも後になってわかったのは、こいつのエンジンがかからないから動かせないということだった。
エンジン始動に「引きがけ」を試すも……
もともとバイトで入ったこの会社には、洗車係として雇ってくれと頼みに行ったことがきっかけだから、入社当初は毎日洗車と軽くエンジンへの火入れだけやっていたが、上司からメルセデスはやらなくてよいと言われていた。そしてついにある時、「こいつのエンジンをかけるからお前も手伝え」と言われて作業を手伝った。かなり手荒な方法だった。ガソリンを確認し、電気(火花)がプラグに飛ぶことを確認したうえで、押しがけならぬ、引きがけを行った。
方法はこうだ。牽引ロープを繋ぎ、このクルマを別なクルマで引っ張り、ある程度スピードが出たところでオンにしたイグニッションと繋いだギアのままクラッチを放して強制的にエンジンをかけようというものだった。はじめのうちはその引っ張る方のクルマの運転をした。しかし、どうしてもかからず、今度はお前が乗って同じことをやれという。こうして初めて300SLの試乗が叶った。と言っても言わば市中引き回しの刑にされたクルマに乗っているようなもの。しかも場所は現在の環八である。よくもまあこんなことがまかり通ったと思う。結局300SLが目覚めることはなかった……。おそらく燃料噴射がいかれていたのでは……と思う。
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