個性ゆたかな原付カーの宝庫、光岡自動車
大手メーカーとはひと味異なる独自のクルマを送り出す「自動車メーカー」として知られる、光岡自動車。現在は他社の量産車をベースにオリジナルデザインをまとったユニークなモデルを多数ラインアップしており、吊るしの量産車に飽き足らないファン層から大きな支持を得ています。そんな光岡自動車は、以前は50ccエンジンを搭載した1人乗りの原付カー、さらにはそれらをパーツで販売してユーザー自らが組み立てるキットカーといった、他に類を見ないクルマをリリースすることでも知られていました。今回ご紹介する「CONVOY 88(コンボイパパ)」も、かつて光岡自動車が販売していた原付カーとなります。
2002年に趣味のマイクロカーとして登場したCONVOY 88
「いつでも」、「どこでも」、「だれにでも」手軽に乗れる。そんなコンセプトのもと、光岡自動車が同社オリジナルの原付カーをデビューさせたのは1982年のこと。「ゼロハンカー・BUBUシャトル」と名付けられたその軽便な50cc・シングルシーターは、ドアやワイパーを備えた完全密封のボディを持つ、文字通りのキャビン・スクーター。原付免許で乗れて、操作が簡単、安全で経済的ということから話題となり、独自のマーケットを創り出すことに成功した。
その後1985年に道路交通法が改正され、原付カーの運転にはそれまでの原付免許から普通自動車免許が必要となったことを機に、光岡自動車の原付カーは「オリジナル・デザインのキャビン・スクーター」から「クラシックカーのミニチュア・レプリカ」といったテイストに傾いていった。法律の改定に合わせマイクロカーのコンセプトが、実用主体の乗り物からホビー色が強い乗り物に変化していった、と言えるかもしれない。
そして、2002年の東京モーターショーで車名発表とともに展示されたこの「CONVOY 88(コンボイパパ)」も、実用一点張りのツールというよりは「乗って楽しい・見られてナンボ」の趣味の乗り物としての印象が強い。そのコンセプトとユニークな外観から大きな注目を集めたCONVOY 88は、あのトミカのモチーフにもなっている。
当時はきわめて珍しい公道走行可能なBEV原付カーだった
形式名は「ME2」と呼ばれるCONVOY 88。コンボイといえば1978年公開のアメリカのトラック&トレーラー運転手を題材にした映画が思い浮かぶが、このCONVOY 88もそんな働くトラックをイメージしたネーミングだったのかもしれない。
ただしその外観はケンワースやピータービルトといったアメリカン・トラック風なデザインではなく、ご覧の通りシトロエンの「H(アッシュ)トラック」をモチーフにしたと思しきものとなっている。そして「88」という数字は、車幅が88cmであることに由来している。ちなみに原付二輪の全幅が大体70cm程度なので、「四輪車」としては恐ろしくスリム。
このCONVOY 88、さらに特筆すべきはBEV(内燃機関を持たず、バッテリーとモーターのみで走る電気自動車)であるということ。現在では国産や欧米勢はもちろん、中国や韓国メーカーの最新BEVも日本の路上を走り始めており、もはや特別なクルマではなくなりつつある電気自動車だが、もちろん当時としてはBEV自体少数派で、まして公道上を走行できるBEV原付カーとなるとさらに珍しい存在といえた。
ちなみに同時期、光岡自動車は50ccエンジンを搭載した原付カー「MC-1」の派生モデルとして、それをBEV化した「MC-1EV」もリリースしていた。