伝統と前衛を究めた異才の4ドアサルーン「ラゴンダ」
2024年6月28~30日、名門「ボナムズ・オークション」社がスイス西端のリゾート、シェゼレックスの「Golf & Country Club de Bonmont」を会場として開催した「THE BONMONT SALE」オークションでは、クラシックカーや近代スーパーカーなどが数多く出品されていました。今回はそのいずれにも属さない、ヤングタイマー世代のアイコニックな4ドアサルーン、アストンマーティン「ラゴンダ」についてお伝えします。
70~80年代の世界を震撼させた、前衛的な4ドアGTとは?
「ラゴンダ」は、その起源を1906年の創業までさかのぼることのできる、イギリスでも古株のブランドのひとつ。1935年には名作「M45ラピード」を擁してル・マン24時間レースで総合優勝を獲得し、第二次大戦前には1.5Lクラスのスポーツカーで名を馳せてアストンマーティンよりも格上と見なされていた。
第二次大戦後の1947年には、前年にアストンマーティンを手に入れていたデーヴィッド・ブラウンによって買収され、アストンマーティンとは姉妹ブランドとなる。
1940年代末から1950年代中盤にかけては、あのW.O.ベントレーがラゴンダ社に移籍したのち設計した独自の6気筒DOHCエンジンを搭載する「2.6Litre/3Litre」を生産したのち、1961年にはアストンマーティン「DB4」を延長した4ドアGT「ラピード」が登場。総計55台ながらシリーズ生産も行われた
それからしばしの時を経て、1974年秋に同時代のアストンマーティン「AM-V8(旧名DBS)」をラピードと同じ手法で延長した、その名もアストンマーティン「ラゴンダ」がデビューしたものの、翌1975年までの間にわずか7台が生産されただけ。AM-V8をただ伸ばしただけでは、新鮮味や商品力ともに不十分だったことがうかがえる。
その反省からだろうか、1976年10月のロンドンショーにて衝撃的なデビューを飾ったアストンマーティン「ラゴンダ シリーズ2(Sr.2)」は、DBS/AM-V8と同じウィリアム・タウンズの作ながら、まったく異なるテイストのボディとインテリアを与えられた、極めてアヴァンギャルドなクルマだった。
イタリアのスーパーカーに匹敵する4ドアグラントゥリズモを実現
新生ラゴンダSr.2は同時代のメルセデス・ベンツ「450SE」やジャガー「XJ12」よりも上級。マセラティ「クアトロポルテ」などと同じマーケットを見越した4ドアのエキゾティックカー。シャシーは旧ラゴンダSr.1/アストンAM-V8とは別物の新設計とする文献もあるが、ホイールベースやトレッドなどの寸法はSr.1時代とまったく同じで、鋼板溶接式プラットフォーム上に細い鋼管の枠組みを構築し、アルミパネルのボディ表皮を張るという工法も従来どおりのもの。
したがって、Sr.1時代のものを改良したシャシーに、エッジの効いた前衛的なボディを組み合わせ、あの時代に隆盛を極めていたイタリアのスーパーカーに匹敵する4ドアグラントゥリズモを実現させたことになる。
内装は伝統の「コノリー」社製レザーハイドを多用するものの、ダッシュボードはSr.1やAM-V8サルーンのオーセンティックなものとは一線を画した未来志向。メーター類はすべて、当時最新鋭のLEDによるデジタル表示だった。