特別感を演出していたレガシィ ブリッツェン
実用的なセダン/ステーションワゴンでありながら、スポーティな走りも享受できるスバル「レガシィ」は、過去のモデルも含め今なお人気の高いモデルであることはご存知の通り。そんなレガシィには多くの特別仕様車などが設定されていましたが、3代目モデル時代から登場した「BLITZEN(ブリッツェン)」は特にファンの多いモデルとして知られています。
ボディには専用のエアロパーツを装着
1999年に開催された東京モーターショーで「レガシィB4」発売1周年を記念して初披露となった「ブリッツェン」は、12月から受注を開始し、翌年2月に発売することがアナウンスされた。
セダンであるB4のターボモデルである「RSK」をベースとしたブリッツェンは、スバルとポルシェデザイン社が共同開発した外装部品などを装着した機能美の追求をテーマに開発された。ボディには専用の前後バンパーやリアスポイラー、フロントグリルや17インチアルミホイールが共同開発で装備されたアイテムとなっていた。
それ以外にもMT車にはフロントヘリカルLSDやアルミ製フロントフードなども装備し、走行性能を高めたほか、専用のレザーパッケージも用意してプレミアム感も追加されていた。
またボディカラーには通常の塗装よりも1層多く塗られた専用カラーのプレミアムレッドが用意され(そのほか、アークティックシルバーメタリックとブラックマイカも設定)より特別感を演出していたのだった。
年次改良が繰り返されたブリッツェン
ここで好評を集めたブリッツェンは、2001年1月に「BLITZEN 2001 model」として、新たに「ツーリングワゴン GT-B E-tune」をベースとしたワゴンモデルも追加したうえで復活。機能面は2000年モデルと共通だが、新たにSONYドライビングサウンドシステムfor BLITZENが用意され(B4は標準、ワゴンはオプション)、ボディカラーには新たにピュアホワイトが追加された。
続く「BLITZEN 2002 model」では前後バンパーやスポイラー、フロントグリル、サイドスカートのデザインを一新し。B4のMT車にはフロントヘリカルLSDに加えてフロント16インチ対向4ポッドブレーキを採用した。
またオーディオにはマッキントッシュサウンドシステムを新たに採用し、プレミアムレッド以外のボディカラーをプレミアムシルバーメタリック、ノーティックブルーマイカ、ブラックトパーズマイカに置き換えている。
さらに2002年8月には水平対向6気筒3Lエンジンを搭載した「BLITZEN6」をB4とツーリングワゴンに追加設定。こちらは従来のブリッツェンの装備はそのままに、内装色をブラックからベージュに置き換えたより大人っぽいモデルとなっていた。
そして翌年の「BLITZEN 2003 model」では、よりスポーティな走りを実現するために、15.0:1のクイックステアリングギアレシオの採用やAT車にも対向4ポッドブレーキを採用。キャリパーカラーをレッドにするなど、より情熱的なモデルに進化していた。
2005年に「ブリッツェン2005モデル」が満を持して登場
2003年5月にはレガシィ自体が4代目へとフルモデルチェンジを実施。ブリッツェンはしばらく姿を現すことはなかったが、2004年の東京モーターショーに「BLITZEN 2005 model」を展示し、同年12月から販売を開始。この4代目モデルでは、ポルシェデザイン社の名前は使われず、「欧州デザイン会社」という表現となっていた。
このモデルは「B4 2.0GT」をベースに先代と同じく専用デザインの前後バンパーやグリル、17インチアルミホイールを装着し、専用カラーのプレミアムレッドを含む4色のボディカラーを設定したもので、インテリアはブラックを基調としたものとし、シートやドアトリムにはレッドとブラックのツートーンカラーまたはブラック単色いずれかを選ぶことができるようになっていた。
翌年には「BLITZEN 2006 model」を発表し、再びツーリングワゴンもラインアップに加えたほか、ベースグレードを「2.0GT spec.B」としたことで、専用アルミホイールが18インチへと大径化したのが大きなトピック。
先代のように走りにまつわる部分はノータッチだったが、もともと高いポテンシャルを秘めていたモデルだけあって、十分すぎる性能となっていた。
結局BLITZENの名を冠した市販モデルはこの2006モデルが最後となり、その後は現在に至るまで設定されていないが、2015年の東京オートサロンには、6代目のB4をベースとした「ブリッツェン コンセプト」なるモデルが展示されていた。
このモデルも歴代ブリッツェンと同じく専用のエクステリアパーツや真紅のボディカラー、専用のレザーシートなどが奢られており、市販化されてもおかしくないクオリティとなっていたが、セダン需要の冷え込みもあってか結局実際に販売されることは叶わなかった。