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初代「NSX」の起源はピニンファリーナにあった!? 発表から40年を経てホンダのコンセプトカー「HP-X」をレストア…正式にNSXとの関係が明らかに

初代「NSX」の起源はピニンファリーナにあった!? 発表から40年を経てホンダのコンセプトカー「HP-X」をレストア…正式にNSXとの関係が明らかに

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: American Honda Motor Co.

ホンダとピニンファリーナの革新的なスピリットの証

「ホンダHP-Xは、コンセプトカーを通じて革新的なアイデアを提示し、未来のトレンドを設定するピニンファリーナのユニークな能力を示す好例」

と、ピニンファリーナのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであるフェリックス・キルベルトゥス氏は、今回のペブルビーチ出展に際して発信されたプレスリリースにて述べている。

「ピニンファリーナでは、卓越したデザインの価値をすべてのプロジェクトに注ぎ込むよう努めています。これにより、コラボレーションするブランドの本質は損なわれず、自信を持って先を見据えています。HP-Xはそのまま生産されませんでしたが、その後のホンダ製モデルたちや、より広範な自動車業界への影響は否定できません。これは、ホンダとピニンファリーナの革新的なスピリットの証であり、自動車業界の将来の発展を鼓舞するものだったのです」

くわえて、テクノロジーの進歩に重点を置いて設計されたHP-Xコンセプトは、野心的な新しいアイデア、テクノロジー、エンジニアリング原理のテストベッドとして機能し、これらはのちに「ホンダ」や「アキュラ」ブランドのモデル、とくに数年後にデビューしたミッドシップ2シーターの初代NSXに活かされてゆくことになったといえるだろう。

歴史的名作NSXの起源であることが、初めて正式に言及される

「日本で設計・開発された初代NSXは、HP-Xで初めて探求された多くのアイデアやイノベーションを具現化し、自動車の歴史にその地位を確固たるものにした」。プレスリリースでは、たしかにそう記されていた。

筆者の記憶が正しければ、1984年トリノ・ショーでの発表当時は、HP-Xは日本を含む全世界のスーパーカーファンを魅了したものの、あくまで「ピニンファリーナのデザインスタディ」と説明されていたはずである。しかし誕生から40年の時を経て、ついにHP-Xがホンダ屈指の名作である初代NSXの出発点だったことが、ここで正式に言及されたことになるのだ。

そして伝説のホンダHP-Xコンセプトは、イタリア・トリノ近郊カンビアーノのピニンファリーナ工房にて行われた大規模なレストアを経て、2024年8月18日に開催された第73回ペブルビーチ・コンクール・デレガンス「ウェッジシェイプ・コンセプトカー&プロトタイプ」クラスに、フェラーリ「PFモドゥーロ」やアストンマーティン「ブルドッグ」など、いかにもあの時代を思わせる、素晴らしいコンセプトカーたちとともに出場。

厳正な審査の結果、栄えあるクラス賞ではアストンマーティン ブルドッグに名を成さしめてしまったものの、それでも世界のホンダ愛好家、あるいはピニンファリーナ愛好家に、その耽美的なまでの存在感を披露したのである。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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