1人乗り50cc原付カーのロングセラー、タケオカ アビー
需要と供給のバランスが取れていれば、市場の規模は小さくとも生業は成立するもの。そんな身の丈にあったビジネスを長年にわたり続けてきたのが、富山県が本拠地の小さな「自動車メーカー」、タケオカ自動車工芸(以下タケオカ)です。ここでは、そんな小さなメーカーが作った小さなクルマ「アビー」とそのオーナーを紹介します。
アビーの系譜は1983年にスタート
あるいはクルマ好きにとっても馴染みの薄い名前かもしれないタケオカ。同社のホームページによればその事業内容は「移動機器車両の設計、製造販売」とされているが、そのメイン商材は1人乗りの50ccミニカー、いわゆる原付カーである。同社が初めて原付カーを手がけたのは今から40年以上も前、1981年のこと。「BUBUシャトル」と名付けられた50ccミニカーの開発から、同社の自動車メーカーとしての歴史が始まった。
BUBUと聞いてピンときた方は、かなりの原付カー好きだろう。ご明察の通りBUBUとは同じ富山県内を拠点とする光岡自動車のブランド。じつはタケオカ初の原付カーは、光岡自動車と共同で開発・製造を行い、販売は光岡自動車が担当するというスキームであった。
その後タケオカは1983年にバーハンドル/3ホイーラーの「アビー1」、1984年には丸ハンドルで全輪に油圧ブレーキを備えた4輪車「アビー2」をリリース。この時代、これらの原付カーは16歳から取得できる原付免許で運転可能という手軽さも手伝い「原付スクーター以上・軽自動車未満」の乗り物を欲するユーザー層を開拓。他のメーカーも次々にこのジャンルに参入し、最盛期にはその数10社を数えるほどの活況を呈した。
タケオカと光岡が日本の原付カー界を支えてきた
しかし好事魔多し。原付カーの普及にともない、他車との速度差など混合交通下での危険が指摘されるようになる。そして1985年の道路交通法改正にあたり原付カーは「第一種原動機付き四輪自転車」に分類されることとなり、保安基準への適合が求められるとともに、運転にはそれまでの原付免許から普通自動車免許が必要となった。
それまでは雨後の筍のごとく乱立していた原付カー・メーカーも、この法改正をきっかけに徐々にこのジャンルから撤退。原付カーというジャンルそのものもみるみるシュリンクしていった。その後もこの市場に踏みとどまったのは、この分野のパイオニアとも言えるタケオカと光岡自動車のみ。そしてタケオカは時代の変化に対応しながらそのラインアップにいくつもの新型モデルを加え、他に例を見ないユニークな「自動車メーカー」として今なお盛業である。