現在でもレースやヒルクライムで勝利を目指している
1920年代最後の年は、モナコGPが初めて開催された年でもあった。そこでは、タイプ35Bがウィリアム・グローバー=ウィリアムズを乗せて公道サーキットを制し、イギリス人ドライバーに10万フランの賞金をもたらした。グローバー=ウィリアムズはすでに1928年のフランスGPでもブガッティ タイプ35で優勝しており、1929年にも同じモデルで優勝している。
タイプ35が活躍したイベントとして、あまり人々の記憶に残っていないものにラ・バウルGPがある。フランスの西海岸にある高級リゾート地のビーチで開催されたこのレースは、パリの裕福なドライバーたちが夏の首都の喧騒と暑さから逃れるために参加した。
ラ・バウルの黄金の砂浜は、ブガッティ タイプ35にとって幸運の舞台であることが証明され、1927年のイベントでは、イギリス人ドライバーのジョージ・エイストン大尉がタイプ35Bで6分以上の差をつけて優勝した。翌年には、ピエール・ブラック・ベレールがタイプ35で優勝を飾っている。
1920年代後半から1930年代前半にかけてモータースポーツ界を席巻したタイプ35は、モルツハイムから新型のよりパワフルなモデルが登場すると、必然的にモータースポーツ界の最高峰でのスター性が衰え始めた。今日、タイプ35はその数々の勝利だけでなく、レースカーのあり方を再定義したことでも記憶されている。100年前に初めてサーキットを走ったときと同じように、畏敬の念と賞賛を呼び起こし続けるエンジニアリングの傑作である。
100年経った今でも、ブガッティは世界中のレースやヒルクライムで勝利を目指し、ブガッティのエンスージアストたちによって、この傑出したマシンの伝説を博物館ではなく、本来の場所であるサーキットで守り続けているのである。
AMWノミカタ
1920年代のル・マンのレースで活躍したベントレーを見て、エットーレ・ブガッティは「ベントレー君が世界一速いトラックを作った」とコメントしたという逸話がある。当時のレースカーを見てみるとタイプ35はひときわ小さく、ともすれば華奢に見えるこのモデルでよくぞ2500勝もしたものだと感心せざるを得ない。
各メーカーがより速く走るために排気量に拡大したエンジンを投入したが、ブガッティは35から35Tに至るまでおよそ300cc程度の拡大にとどまった。つまり車体の軽量化やそれに伴うハンドリング、加速性能の高さこそがレースでの勝利の条件であることを見抜き、他が真似できない卓越した技術力と工作精度でこれを実現できたのがタイプ35だったのだろう。
昨年日本で実施されたクラシックカーラリーのラ・フェスタ・ミッレ・ミリアで優勝したモデルもタイプ35であった。タイプ35のレースでの優勝記録は100年後の今日でも世界中のいたるところで積み重ねられている。