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約28万円で購入したフィアット「850 スポルト スパイダー」が今や10倍近い値段に!「ディーノ」のインパネに似ていてカッコ良かったです【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

ハードトップ付きだったが……

やり取りはその場でお金を渡し、こちらは書類と簡単な契約書を交わし、そのままクルマに乗って帰るという極めてシンプルかつ、大丈夫か? というような売買である。でも先生がオーナーのお父さんにお金を渡し、こちらは鍵と書類(車検証のようなもの。ドイツではTüf=テュフという)をもらい、そのままクルマに乗って帰った。行きは先生のものになっていた128を私がドライブし、帰りは先生が128、そして私は手に入れたばかりの850スパイダーに乗って帰った。

これが2台目のクルマとなった850スパイダー購入の顛末だ。購入した当時はハードトップが装着されていた。しかし、せっかくのオープンモデルだからと、あるとき意を決してハードトップを取り外した。ハードトップ背後にあるネジを取り外し、室内側のネジ(だったと思うが記憶がない)を取り外していよいよハードトップ本体を取り外すのだが、極めて重い。多分30kgはあったはずだが、それを取り外して自分の部屋まで持って行った。はたしてどれほどの火事場の馬鹿力が発揮されたかは忘れたが、今なら絶対無理な作業だ。もちろんすべて1人でやった。

日本にいた時も購入するチャンスがあった

じつはこの850スパイダーをマイカーにするチャンスは過去にもあって、それはまだ日本にいた時代に初めてのクルマを購入するとき、人づてに紹介されたブローカーが持ってきたクルマが初期型の850スパイダー。試乗してみて購入をやめ、結局その時は新車の「シビック」を買った。もしフィアットを買っていたら、私のクルマ人生も変わった道を歩んでいた気がする。その意味ではだいぶ遠回りをした。

このクルマではミュンヘンからモナコグランプリを見にモナコまで走ったこともある。結構走り回ったがトラブルは皆無で、アルプス越えもなんのその。128以上のドイツでのカーライフを満喫した。

私が購入した850スパイダーはヘッドライトが立った後期型。排気量が拡大され850とは名ばかりの903ccエンジンを積んだスポルト スパイダーである。初期型のスパイダーはインパネ部分にウッド調パネルを使っていたが、私の後期型はそれがアルミ風で、まるでディーノ「246GT」のインパネを見ているようだった。それにチョークの位置やそのスイッチなどは完全にディーノのそれ。他にもディーノと同じ? といった部品が多数散見される。

車検に持ち込むと検査員がボディを叩きだす!?

このクルマではいわゆる個人車検にも挑戦した。前述したTüfの取得だが、こちらがやることはほとんどなし。ただ、車検を受けるために個人で車検場に持ち込んだところ、驚いたことに検査官はいきなり小さな金槌をもってボディを叩きだした。するとエンジンルームの隔壁がごそっと崩れ落ちた。さすがに検査官はフィアットの泣き所を心得ていたようで、「はい、ここを直して」のひと言。

街の修理屋で、鉄板を当ててそこを塞ぐだけのなんとも雑で荒々しい作業の末に(しかも塗ってない)、いとも簡単に車検をパスして帰国までこのフィアットのお世話になった。ちなみに金槌以外はヘッドライトの光軸検査とブレーキ検査だったと記憶する。

帰国に際してはまた日本人コミュニティに売却するつもりだったが、足しげく通っていた「大都会」という名の鉄板焼き屋の調理人が欲しいという。2000マルクで買ったけどいくらなら買う? と聞くと、じゃあ2000マルクでいいと……内心「マジか!」と思ったがすんなり交渉成立で、全く損をすることなく売却できた。今、850スパイダーの相場を見てみると、綺麗な個体は2万ドル近くする。

>>>フィアット&アバルトの専門誌「FIAT & ABARTH fan-BOOK」のvol.08を読みたい人はこちら(外部サイト)

■「クルマ昔噺」連載記事一覧はこちら
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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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