障がい者が闊歩するサーキットが日常としてある姿
元WGPライダーの車いすドライバー、青木拓磨選手が2024年9月14日(土)~15日(日)、英国ノーフォークのスネッタートン・サーキットで開催されたBEC/英国耐久選手権の第6戦に出走しました。「Team BRIT」から、2台のマクラーレン「570S GT4」に4名の車いすドライバーが乗って戦った様子をレポートします。
2台のマクラーレンで耐久レースに挑む
スネッタートン・サーキットは、もともと第二次世界大戦中に飛行場として建設され、1950年代にサーキットに作り替えられた。飛行場の跡地ということもあって、元滑走路のバックストレート(約800mあるベントレー・ストレート)をはじめ、基本的にはコース全周がフラットで、コースサイドに作られた盛り土の観客席からはコースが広く見渡せるようになっている。コースはショートカットルートを使うことでさまざまなレイアウトのコースとして使用できるが、最も長い全周を使った「300サーキット」は、全長2.99マイル(約4.8km)となる。
2024年9月14日(土)~15日(日)の週末、スネッタートンでは17のレースが行われ、その中で最もレース時間が長いものが、2時間の耐久レースとなる「British Endurance Championship」(BEC/英国耐久選手権)の第6戦「Snetterton 300」である。ここに2台のGT4マシンであるマクラーレン「570S GT4」が出場した。
このマシンを走らせるのが、障がい者ドライバーだけでレース参戦をしている「Team BRIT」である。今回のBEC以外にツーリングカーレースなどの下位カテゴリーにも参戦をしているが、そのドライバーラインナップは、脊椎損傷や切断といったわかりやすい身体の機能障がいを持つ者だけでなく、精神的な障がいを有した者もいる。
青木選手は20歳のドライバーとペアを組んで走行
2023年からこのチームに合流している元WGPライダーの青木拓磨選手は、伝説のライダーといわれる「青木3兄弟」の次男。幼少期に兄弟とともにミニバイクレースに参戦を開始し、1990年に国内ロードレースへデビュー。1995年~1996年の全日本ロードレース選手権スーパーバイク・クラスのタイトル連覇後、1997年に2輪ロードレース世界選手権(WGP GP500クラス)に参戦している。非力なマシンでの参戦ながらシリーズランキング5位を獲得した。
しかし、ついにライバルと同じマシンを入手し、タイトル獲得も夢ではない! とささやかれていた翌1998年シーズン、開幕前に行われたテスト中の事故で下半身不随となり、車いす生活を余儀なくされている。
Team BRITでは、15歳の時にモトクロス競技でのジャンプで着地を失敗し、背骨を骨折して半身麻痺となっているアーロン・モーガン選手と、3年前のバイク事故で右足ひざ下を欠損したポール・フリック選手のペアが乗るNo.68を付けたマクラーレン「570S GT4」でBECシリーズに年間エントリーをしている。今回、青木選手はチーム2台目のマクラーレン570S GT4を使用してBEC最終戦に67号車としてスポット参戦する。
青木選手は、FMXでのジャンプで着地の際の事故で脊椎損傷となった弱冠20歳のドライバー、ノア・コスビー選手とペアを組んで参戦することとなった。
練習走行ではブレーキが効かずにコースアウト!
BECのレースは1日で完結する形式をとっており、午前中に練習走行と予選セッションを行い、午後に2時間の決勝レースを行っている。その67号車のスタートドライバーと予選アタックを青木選手が担当することになり、練習走行の走りだしはペアを組むコスビー選手。6周を走行後、青木選手に走行を代え、そのまま予選セッションに進むという流れであった。
練習走行は順調に進んでいったのだが、予選セッションになった際に、67号車に車両トラブルが発生し、2コーナーでコースアウトしてしまう。その原因はブレーキが効かなかったこと。BRITでは下半身不随の青木・コスビー両選手のためにハンドドライブ機構を組み込んだオリジナルのステアリングユニットで、ハンドル操作とアクセル・ブレーキ・シフト操作までができるような仕組みとなっているが、ステアリングユニットでの操作と、そのバックアップとして用意されている補助ブレーキの双方が効かなかったことでコースアウトとなったという。いったんピットに戻ったものの、予選アタックは叶わず、セッション終了となってしまう。
決勝レースまでの時間でブレーキユニットのエア抜きなどを再度行い、チームは車両の整備に集中。同時にチームミーティングが行われ、最初のスティントを青木拓磨選手が担当し、後半にコスビー選手が乗車。そのコスビー選手のターンで一度ピットインだけを行う(2時間のレースで2回のピットインが義務付けられている)という戦略で行うこととなった。
BECの予選セッションの後のコースでは、トラックシリーズやピックアップトラックのシリーズのレースが開催されており、コース上にはトラックがまき散らしたダストとトラックのタイヤラバーが多く残る状態でレースは決勝を迎えることとなった。
67号車はクラス3位でレースを終えた
恒例の2周のフォーメーションラップの後、ローリングスタート。先頭を行くのは今回唯一のGT3マシンであるNo.9 PB Racing by JMH(AUDI GT3)。これが後続を大きく引き離していく。青木選手が駆る67号車はスタートからブレーキの効きを確認しながらの走行となり、残念ながら最後尾からのレースとなった。しかしブレーキが確認できた翌周からは順位を上げ始め、確実に上を目指しての走行が続く。
1時間コンスタントに走行を続けた青木選手は予定通りにピットへ戻り、コスビー選手に車両を託す。今回、BECもマクラーレン570S GT4でのレースも初めてだったが、コスビー選手も淡々と走行を重ね、67号車もレース自体も大きなクラッシュなどもなく無事にクラス3位でレースを終えた。
チームのエースカーである68号車はポール・フリック選手がスタートドライバーを務め、アーロン・モーガン選手へとバトンをつなぎ、67号車のひとつ前のクラス2位、オーバーオール3位でフィニッシュ。さらに年間10位で2024シーズンを終えた。
このBRITのチームは、翌日に行われたブリットカー・トロフィというレースでも2台のBMWを走らせ計4名の障がい者が走行するなど、障がい者に特化したチームだが、それ以外でも普通に車いすドライバーがこの週末のレースを堪能していた。
またサーキット内には障がい者用駐車場や観戦場所が多数用意され、パドック内ではチーム関係者や観戦者などでも車いすの方を多く見かけた。それが特殊なことではないということは、そんなところからも見て取れた。日本国内でもこういったシーンがもっと普通に見られるようになってほしいものだ。