年次改良モデルごとの進化も見逃せない1台だった
スバルは2024年4月23日、かつて代表モデルだった「レガシィ」のセダンのアメリカでの生産を、2025年春に終了すると発表しました。そこで今回は、歴代レガシィの中でも今なおファンが多い3代目モデルをカタログで振り返ります。
熱く真摯なクルマ作りへの思いが詰まっていた
「ねじり棒バネが、折れた……」の田口トモロヲ氏のナレーションが印象的だったNHKの最初の『プロジェクトX』で開発秘話が取り上げられたのはスバル「360」。もちろん同車は、スバルの象徴的な初の軽自動車として心に残る存在だが、同様に近年のスバル車を代表する存在というと、やはり「レガシィ」の名は外せない。初代は1989年1月に登場し、ブームなどと言うと軽々しいが、とくにツーリングワゴンはジワジワと浸透していき、ほどなく日本市場にステーションワゴンの文化を広めた。
そんなレガシィだが、改めて振り返ってみると、もっとも脂が乗っていたのが1998年登場の3代目だったのではないだろうか。ツーリングワゴンとランカスターが同年6月、セダンは半年遅れで新たに「B4」の名が与えられて同年12月に登場している。
ところでこの3代目レガシィは、どういうクルマだったか? 前段で触れたとおり、この3代目では、まずツーリングワゴンと、その派生車種のランカスターがまず登場。この時のツーリングワゴンのカタログを開くと「THE GRAND TOURING LEGACY 〜 ワゴンがつくった、理想のクルマ。」とある。さらに見ると「走りの愉しさを大人たちへ。/世界基準の衝突安全へ。/ワゴンパッケージを上質なクオリティで。」とも記されていた。
が、この3つの項目は、じつは取材の折に、当時の開発プロジェクトリーダーだった故・桂田 勝さんが物静かな語り口調で仰っていた言葉そのものといってよく、カタログのコピーとして、やけに飾らない印象だったのもそのためか。なおプレス向けの広報資料では「レガシィを極める」ともあり、もちろんそれは桂田さんの思いを表わした言葉でもあったが、カタログで使われなかったのは、広告宣伝上のルールに従ってのことだったのかも知れない。
いずれにしても、思い返してみてもこの3代目レガシィの開発チームは、桂田さんをはじめ「熱く真摯なクルマ作りへの思い」をもった方々ばかりだった。すでに大半の方が現役を卒業、引退されていると思うが、今でも取材でお話を伺ったときのお顔が思い浮かぶ。そういう人たちによって作られたクルマだということだ。