オーナーはパイクカーのプロジェクトに参画していた関係者
愛車遍歴は510「ブルーバード」から始まったという長澤さん。10台以上のクルマを乗り継いできた中で、その半数近くはダットサン「トラック720」や「セフィーロ ワゴン」などの日産車。
「じつは私、日産モータースポーツ&カスタマイズ(NMC)の社員で、以前は日産本社でデザイン業務に携わっていました」
なるほど道理で。そして、長澤さんは1984年ごろからK10「マーチ」をベースに若い層にアピールできる「限定車」の開発プロジェクトに参画。
「開発チームはA、B、Cと社外の異業種も含めたいくつかのチームで進められ、最終的にB-1チームの案が採用されたことから付けられた車名がBe-1なんですよね」
たしかに日産のホームページにもそのような記述が。
「他にもマーチ ターボなども手がけました」
という長澤さん。ちなみに別記事で紹介している2代目キューブの桑原さんはNMCの同僚だそうだ。
カスタムポイントへの深い知見は本職ならでは
このBe-1は1988年式というから、1万台限定で販売されたBe-1の中では比較的後半に生産された個体。キャンバストップ、5速MT、タコメーターなどもお気に入りのポイントとのこと。ステアリングホイールはナルディに替えられ、ドライバーの好みに合わせステアリング・ポストの位置もカスタムされている。
「マフラーはパオ用の2本出しのアフターマーケット・パーツに交換してあります。また、アンテナは当時のバネットのものなんですよね」
と、やはり開発当時から関わってきただけに、パイクカーに対する深い知見は本職ならでは。大きな社会現象にもなった実車の生産終了から36年後の2024年、長澤さんと「NISMO」Be-1の紡ぐ新たな日々は、いま始まったばかりだ。
>>>2023年にAMWで紹介されたクルマを1冊にまとめた「AMW car life snap 2023-2024」はこちら(外部サイト)