マクラーレンがF1王座獲得50周年を迎える
マクラーレンがF1王座を獲得してから、50年が経ちました。また、2024年は、伝説的ドライバー、アイルトン・セナ没後30年の節目の年でもあります。ここではマクラーレンに所属していた最強F1ドライバーのミカ・ハッキネンと、キミ・ライコネンを紹介します。
速さのハッキネン、強さのシューマッハ
馬鹿っ速いフィンランド人のドライバーのことを、モータースポーツの世界では「フライング・フィン(空飛ぶフィンランド人)」と呼ぶ。F1の世界でフライング・フィンといえば、まずケケ・ロズベルグ。1984年、第2期ホンダF1参戦で、最初の勝利を挙げた職人ドライバー(マシンはウイリアムズFW09)。1982年のワールドチャンピオンで、息子のニコ・ロズベルグも2016年のワールドチャンピオン(ニコの国籍はドイツ)。
その後、フライング・フィンの称号を引き継いだのが、1998年・1999年のワールドチャンピオンになったミカ・ハッキネン。7度の世界チャンピオンであるミハエル・シューマッハの唯一最大の強敵で、F3時代からの因縁のライバル。
とくに1990年のマカオGPでは、アイルトン・セナが7年間保持していたコースレコードをあっさり更新し、ハッキネンがポールポジションを獲得(シューマッハは2位)。決勝も第1レグはハッキネンが制したが、第2レグはシューマッハが先行。ハッキネンはそのまま2位でも総合優勝できたのに、ペースはシューマッハを上回り、最終ラップにオーバーテイクを試みる。しかしシューマッハがブロックし、2台が接触。シューマッハはウイングを破損しただけでゴールできたが、ハッキネンはリタイア。マカオウイナーはシューマッハに持っていかれた……(このとき、負けたハッキネンは人目もはばからずオイオイと泣いている)。この頃から、速さのハッキネン、強さのシューマッハという評価ができていく。
その後ハッキネンは1991年にロータスからF1デビュー。1993年にマクラーレンに移籍し、マクラーレンでの最初のレースの予選で、エースのセナを上回って見せた。そしてこの年の日本GPがハッキネンの初表彰台(3位)。そして初戴冠を決めたのは、1998年の日本GP。この年からマクラーレンはブリヂストンタイヤを装着し、ハッキネンとともに初めてのタイトルを獲得!
1999年も5勝し、史上7人目の2年連続チャンピオンに。この年、イタリアGPでトップ独走中にコースオフし、グラベルにはまってリタイア。マシンを降りてモンツァの森の中で泣き崩れる姿が空撮され、世界に中継されてしまった。
また、2000年のベルギーGPでは、宿敵シューマッハと大バトルになり、ケメル・ストレート・エンドでシューマッハに追いついたハッキネンは、左にシューマッハ、中央に周回遅れのゾンタ、そして右にハッキネンという3ワイドで、シューマッハをオーバーテイク!「20世紀最高のオーバーテイク」と評されるベストレースをやってのけた。
そして、2002年に正式に引退。圧倒的な速さを持ちつつ、何かというと泣きやすい性質で、恐妻家にも見えたハッキネン。シューマッハがターミネーターと言われたのに対し、まさに対照的な存在だったが、人間らしい感情と脆さ、そしてシューマッハをも上回るきらりとした速さが持ち味の、最高のフライング・フィンだった。