カロッツェリアワタナベの渡辺氏とともにカリフォルニアで製作
その後、古賀氏は6年勤めたメーカーを退社し、自らカーアクセサリー会社を設立。アフターマーケット向けにパーツ開発を行い、メーカーのオプションパーツまで手がけて事業を成長させていく。やがて、以前から思い描いていた、自身がプロデュースするクルマづくりを本格的に進めることにしたのが、会社設立から10年以上を経た1982年のことだ。
クルマのデザインスケッチを古賀さん自ら描き、かつて古賀スペシャル2号を出展していた東京レーシングカーショーで同じ出展者として知り合った「カロッツェリアワタナベ」に協力を要請。その後、渡辺さんがカリフォルニアに移転し、社名は「DUO POWER」に変更となるが、古賀さん自ら削って作った1/10スケールモデルをカリフォルニアの工房まで持参して、具体的な製作作業に入っていく。
古賀氏の頭の中にあった憧れのクルマはシェルビー「コブラ デイトナクーペ」で、それを元にさらに氏のイメージにもとづいてブラッシュアップさせたシルエットをそのままクレイモデルで3次元化。それをDUO POWERにて1/1サイズのクレイに起こしてボディデザインを確定させた。
クーペとオープンを着せ替え可能なギミックを採用
シャシーは角パイプをトラス状に組んだパイプフレーム構造とし、心臓部にはシボレー350 V8エンジンを置く。そのエンジンは前輪とバルクヘッドの間にレイアウトされるフロントミッドシップとなる。製作当初のトランスミッションはMTだったそうだが、完成後、日本に持ち込んで登録後にエンジン自体にトラブルが出て、同じエンジンに載せ替えする際に、ついでにトランスミッションもATへと変更されている。
このクルマの最大のトピックは、クーペからオープンカーへと着せ替え可能な脱着式ボディだ。日本でもかつて、日産が「エクサ」にクーペとキャノピーという脱着可能な2種類のボディを用意して販売していたことがあったが、ハードトップとオープンという、スポーツカー愛好家としてはいささか迷いどころのあるボディタイプを両方手に入れられる、当時としては画期的なギミックが取り入れられている。しかも、どちらのボディラインもグラマラスで、じつにカッコいいのだ。
バブル崩壊とともに量産計画は幻に……
初めてで試行錯誤しながら、自らの設計でオリジナルの本格的なスポーツカーを作り、これをアメリカで量産して販売まで行おうという壮大な計画のもと、プロジェクト開始から8年を経た1990年、ついにこのKOGA CARS「アフガン」が完成した。
ところが同年の暮れにラスベガスのSEMAショーにも出展した矢先、日本のバブル経済の崩壊とともに景気がみるみる落ち込み、量産のための資金はこのマザーカーの開発で枯渇してしまい、プロジェクトは幻に。残ったのはこのクルマ1台のみとなったのだ。
あの当時、もうあと1年、日本の好景気が続いていたら、アフガンというスポーツカーの運命はどうなっていたのか……? そんな想像を今なお駆り立ててくれるほど、この斬新なコンセプトのもと創り出されたスポーツカーのシルエットは蠱惑的であり、その生い立ちもまた、ひとつの時代の貴重な資料といえる。
この記事を読んで、このクルマをそれなりに評価してくれる方がいれば、応相談でお譲りすることもできると、古賀氏は最後に話してくれた。
>>>2023年にAMWで紹介されたクルマを1冊にまとめた「AMW car life snap 2023-2024」はこちら(外部サイト)