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アルファ ロメオ「1750 GTAmレプリカ」で第3京浜を爆走! がんばっても200キロには届かず、エキゾーストサウンドに酔いしれるのみ【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

スピードよりもその音を楽しんだ

そして1970年代の半ば、そのGTAmもどきが私のいた会社にもやってきた。1970年代の第3京浜はまだ非常にクルマの通行量が少なく、それゆえ第3京浜の入り口にほど近い等々力にショールームがあったローデム・コーポレーションにとって、この道路は言わばテスト走行の場と化していた。まあ今だから時効ということで告白するがメーター読みで200km/hオーバーは当たり前に出していた。

余談ながらメーター読みで一番速かったのはフェラーリ「365GTC」。そして、タイム的に等々力から保土ヶ谷料金所までのベストはポルシェ「911カレラ 2.7RS」であった。まあ調子こいてよくも飛ばしたものである。正直、何かひとつ間違えば死んでいてもおかしくない。要するに若気の至りである。

物珍しさもあって、偽物とわかっていたのだが、アルファ好きがよくやってきた。ある時、ならば走りに行こうことになり、仮ナンバーをつけて第3京浜を爆走したことがある。出で立ちはなかなかのものだが、中身は所詮普通の1750で、エンジンもチューンしていたわけではないのでスピードも大したものではなかった。ただ、当時も今もアルファ4気筒サウンドは格別で、スピードよりもその音を楽しんだ記憶が強い。

例によってイタ車独特の大甘なスピードメーターでも精々届いて170km/h程度だったように記憶するが、前を走るジュリアともども楽しい走行会を行った。当時、とくに力を入れていたわけではないが、たまたま105系のジュリアが並び、これらすべてで調子に乗って走り回ったことを覚えている。

当時はグリルのデザインが好きでなく、個人的には1750が良かった。段付きはどうも趣味でなかった。「1300 ジュニア」はやはりショールームにやってきたことがあったので乗っている。こう考えると105系も随分乗り回した。さすがに本物のGTAmは残念ながら今に至るまで乗れずである。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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