昔と現在で意味合いが違う?
メルセデス・ベンツ「CLA」を筆頭に、「シューティングブレーク」と呼ばれるボディタイプのクルマが市場に流通しています。じつはこのシューティングブレークは長い歴史を持っていて、昔と今で意味合いが異なります。クラシックカーから現行車まで網羅している自動車ライターの武田公実氏に解説してもらいました。
当時のシューティングブレークは超高級車が占めていた
現在では動物愛護や自然保護などの観点から、ごく一部の上流階級や趣味人に限られたものとなってしまったようだが、かつて英国を中心とするヨーロッパの王室や貴族、あるいは富裕層の間では、ある種のたしなみとして、キツネ狩りや鴨狩りのような「スポーツハンティング」が盛んだった。
いっぽう「ブレーク」とは若馬の調教(breaking)のために使われていた、ボディのないフレームだけの馬車のことを指す言葉だそうで、狩猟者の座席の背後に猟犬や猟銃、弾薬、仕留めた獲物などを積み込むことのできる馬車が「シューティングブレーク(Shooting Break)」と呼ばれることになったという。それは自動車の時代となっても変わらず、ボディ後部を荷台としたシューティングブレークが製作されるようになってゆく。
ところで、第二次世界大戦前の高級車については、パワートレインとシャシーを組み合わせた「ローリングシャシー」までを製造・販売するのが自動車メーカーの仕事で、ボディやインテリアは顧客とコーチビルダーが相談しながらデザイン・架装する「ビスポーク」が通例だった。
そもそも狩猟をたしなむのは裕福な上流階級であることから、当時製作されたシューティングブレークはロールス・ロイスやデイムラーなど、英国王室御用達にもなるような超高級車たちが中心。しかし馬車時代からの伝統に即して、ボディフレームを構成する木骨を露出させたデザインとする、いわゆる「ウッディワゴン」スタイルが、シューティングブレークらしい野趣を表現したデザインとして人気を得ていたようだ。
日本にもシューティングブレークを応用したボディが展開
第二次大戦の終結後、多くの乗用車のボディがモノコック化され、伝統的なシューティングブレークの架装を依頼する顧客が激減。また、折からの不況で英国の高級車メーカーは続々と姿を消していたことも合わせて、ロールス・ロイスやベントレーなど、ごく一部の高級車のテールにハッチゲートを設けたシューティングブレークが、英国のコーチビルダーの手で細々と注文製作されていた。
それでも1960年代に入ると、旧来の常識を覆す新たなシューティングブレークが登場する。アストンマーティン「DB5」サルーンをベースとし、長らくシューティングブレーク化を得意としてきた老舗コーチビルダー「ハロルド・ラドフォード」の架装による極めて贅沢なエステートワゴン、「DB5シューティングブレーク」が12台だけながら製作されたことで、流麗なクーペのルーフを後方に真っすぐ伸ばし、リアエンドにテールゲートを設けたワゴン型車両を「シューティングブレーク」と呼ぶ風潮が、欧米を中心として一気に広がることになったのだ。
英国チャールズIII世王の妹君、アン王女も愛用したことで知られるリライアント「シミターGTE」や、ボルボ「P1800」クーペから発展した「1800ES」はその最たる例。また試作のみに終わったものの、東京モーターショーに出品されたトヨタ「RV1」やいすゞ「スポーツワゴン」などの日本製コンセプトカーも、新たなシューティングブレークの哲学を応用したものだった。
とはいえ1970年代も後半になると、オイルショックや安全対策などでスポーティなクルマたちは一時的に勢力を失っていたことにくわえて、この時代になると英国富裕層における生来のスポーツハンティング用車両としての需要は、主にレンジローバーによって担われるようになっていたことから、結果としてシューティングブレークもアストンマーティンなどをベースとするワンオフ+α程度まで減少してしまうことになった。しかしそれからほどなく、DB5で提唱されたシューティングブレークの世界観を完全継承した、新たな素晴らしきモデルが登場することになるのだ。