アメリカから生み出されたエクストリームなスーパーカー
毎年8月の恒例行事となっている「モントレー・カーウィーク」でも最大規模のオークションとして、RMサザビーズ北米本社が8月15~17日にモントレー市内で開いた世界最大規模のクラシックカーオークション「Monterey 2024」では、「The Turbollection」と銘打たれた個人オーナー所有のスーパーカー/ハイパーカーたちが異彩を放っていました。今回はその出品車両のなかから特に話題を呼んだ、2台の「ヴェクター」についてお話しすることにします。
独裁者の息子の野心によって、運命を曲げられてしまったヴェクター
1993年のジュネーヴ・ショーにて、この時代としては世界最高額のひとつと目された「76万5000ドル」という価格とともに正式発表されたにもかかわらず、ヴェクター「WX-3クーペ/ロードスター」ともにプロトタイプの段階から進展することはなかった。
このときヴェクターは、インドネシア政府が支援していた新興コングロマリット「セトコ」傘下の「メガテック」による敵対的買収の企てに直面していたからである。
ジェラルド・ヴィーゲルとヴェクターの波乱に満ちたストーリーは、1990年代半ばに急停止を余儀なくされる。そして「ヴェクター・エアロモーティブ」社の没落は、スーパーカー業界がかつて経験したことのないものとなる。
同社の終焉とその後の再生は、第二次大戦直後に展開された「タッカー」に起こったことさえ、おとぎ話のように思わせる。インドネシアの独裁者、スハルト大統領の息子が支配するメガテックによる敵対的買収など、まるでスパイ小説のごとき国際的陰謀の先にあったのは、イタリアの12気筒を搭載したスーパーカー「M12」だった。
法廷闘争の末、ヴィーゲルはWX-3のデザインと2台のプロトタイプの所有権を保持することに成功し、メガテックはヴェクターの商標権は得たものの、新たなスーパーカーを自ら開発することを迫られていた。
当時メガテックは、新生ヴェクターの事業を南カリフォルニアからフロリダ州ジャクソンビル郊外に移し、ランボルギーニの北米事業と同じ施設に入居させていた。メガテックはクライスラーからランボルギーニを買収したばかりで、統合された会社を使ってアメリカ+イタリア混血のスーパーカーを作りたいという野望を抱いていた。
こうした思惑のもとに開発されたヴェクター「M12」は、メガテックの新オーナーシップのもとで誕生した最初にして最後のクルマであり、その誕生秘話はドラマに彩られているが、見た目の上では従来のヴェクターの定型にほぼ合致したものである。
ディアブロのシャシーをベースにしたM12
1996年のデトロイト・モーターショーで生産型としてデビューしたM12は、見た目はWX-3に似せられていたものの、中身はランボルギーニ「ディアブロ」のシャシーをベースにしており、ディアブロのV型12気筒エンジンをトランスミッションの前に配置したミッドマウントバージョンが搭載されていた。
インテリアはクライスラー時代のランボルギーニのパーツを流用し、ヴィーゲル時代よりも洗練されたデザインに移行。アメリカンな威勢の良さはWX-3より抑えられ、よりイタリア的なスーパーカーのセオリーに近づけられていたとされる。
5.7Lの自然吸気V12で492psを発生するM12は、1990年代半ばに製造されたクルマとしては紛れもなく速かった。時速60マイルまで5秒もかからなかったが、当時の識者やメディアはその洗練性について賛否両論。実際には否定的な意見が多勢を占めていたせいか、マーケットでもサーキットでも何らの実績を挙げることはできなかった。
その後、メガテックはランボルギーニをVWアウディ・グループに売却し、新たに親会社となったアウディは、ランボルギーニV12エンジンをヴェクターに供給しないとの決断を下した。
こうして、ヴェクターの歴史はいったん幕を閉じることになった。その後、ジェラルド・ヴィーゲルは2006年に「ヴェクター・モーターズ」社を興し、翌年には「WX-8」プロトタイプも発表したが、2021年にヴィーゲル氏が逝去したこともあって、現在に至るまで生産化には至っていないようだ。
マーケット評価はいかに?
この8月に開催されたRMサザビーズ「Monterey 2024」オークションには、ヴェクターの波乱万丈な歴史を彩る2台のプロトタイプと2台の生産モデル、合わせて4台が出品された。
1993 Vector Avtech WX-3R Roadster Prototype
ヴェクター史上唯一のオープンモデルとなるはずだったWX-3Rロードスターも、このプロトタイプ1台のみが現存するという。
1993年のジュネーヴ・ショーに、前年同じ会場でデビューしていたアヴテック WX-3R プロトタイプとともに出展され、当時はヴェクター社の広告や自動車専門誌にも多数掲載された。メガテックに会社を奪われたのちは、創業者のジェリー・ウィーガートがクーペ・プロトタイプとともに引き取り、2019年まで所有していたことが判明している。
またこちらもクーペと同様、2019年から2021年にかけて、11万6000ドルを超える費用を投じたメカニカルパートのレストア作業を受けている。WX-3R クーペ プロトタイプと同額にあたる、130万ドル~150万ドル(邦貨換算約1億8700万円~約2億1600万円)のエスティメートが設定されたものの、こちらも流札に終わってしまった。
1996 Vector M12
メガテック傘下で開発された唯一のモデルであるM12は、総生産台数わずか17台で、そのうち実質的な市販モデルとされたのはわずか14台だった。今回のオークション出品車は5番目に製造されたもので、この独特のパープル色で塗装された唯一のものである。
公式オークションカタログ作成時の走行距離はわずか6151マイル(約9840km)というわずかなもの。さらに2023年11月には、フロリダ州タンパの「ヨーロピアン・エキゾチック・センター」で点検と整備を受けたとの由である。
RMサザビーズと「The Turbollection」は、40万ドル~60万ドル(邦貨換算約5920万円〜8800万円)というほかのヴェクターたちよりも明らかに安価なエスティメートを設定していた。
そして、今回オークションに出品された4台のヴェクターの中では唯一落札に至ったものの、そのハンマープライスはエスティメートを大きく割り込む24万6400 ドル。つまり日本円に換算すると、約3800万円で競売人のハンマーが鳴らされることになったのだ。