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なぜF1王者たちは「ベイビー・オースティン」を溺愛? 可愛いルックスからは想像できない「A35」は、とんでもない実力の持ち主でした

なぜF1王者たちは「ベイビー・オースティン」を溺愛? 可愛いルックスからは想像できない「A35」は、とんでもない実力の持ち主でした

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TEXT: 奥村純一(OKUMURA Junichi)  PHOTO: 奥村純一(OKUMURA Junichi)

  • 袖ヶ浦フィレストレースウェイに集まったA30、A35、A40のベイビーオースティンたち
  • 少数派のA40ファリーナも3台がパドックを賑わせた
  • A35(右)の丸みを帯びたデザインからスクエアになったピニンファリーナのボディをまとったA40ファリーナ(左)
  • ホイールベースも若干伸びているのがわかるA40ファリーナのリアビュー
  • ホイールベースも若干伸びているのがわかるA40ファリーナのリアビュー スピードメーターも運転席正面へと変更されたA40ファリーナのインパネ
  • バリエーションのひとつであるエステートモデル、オースティンA35カントリーマンも登場
  • バリエーションのひとつであるエステートモデル、オースティンA35カントリーマンも登場
  • こちらのオースティンA30のエンジンはなんと日産のAタイプエンジンを搭載していた
  • 何カ所かの変更があるが、リアウインドウの大きさが一番のA35とA30の違いだろう。こちらはA30の後ろ窓
  • 今回のフライングAトロフィー、全国のベイビー・オースティンのオーナーに呼びかけるなど大集合の音頭をとった仙石祐嗣さん
  • 20年間、仙石さんのコ・ドライバーとしてA35の助手席を温めていた松原玄樹さん。7年前に譲り受けた愛車で参加
  • この日は本場グッドウッドでのレースに参加したA35も2台が来場。新谷 永さんはこの日のレースでも奮闘
  • ベイビー・オースティンたちが、緑が気持ちいいフォレストレースウェイのコースを埋める
  • ベイビー・オースティンたちが、緑が気持ちいいフォレストレースウェイのコースを埋める
  • 2台のオースティンA30がどんぐりの背比べ(?)
  • このA35を駆った代表的ドライバーといえば、F1界の伝説、グラハム・ヒルだ
  • オースティンA30、A35、A40のメモリアルパレード「フライングAトロフィー」を走るA35とA30
  • オースティンA30、A35、A40のメモリアルパレード「フライングAトロフィー」を走る団子3兄弟
  • 大きく車体をロールさせてコーナリング
  • この日は本場グッドウッドでのレースに参加したA35も2台が来場。快音を聞かせてくれた
  • 間引きしたフロントグリルに若干幅広のホイール、室内にはロールケージを装着したA35はクラブマンレーサーの様相だ
  • この日の一大勢力だったのはA35。それぞれのモディファイを見比べるのも楽しい
  • ホイールアーチが拡大されているA35。それぞれのモディファイを見比べるのも楽しい
  • こちらはスプリントレース「TINTOP CUP」のひとコマ、1957年製A35で奮闘する新谷 永さん
  • こちらは耐久レース「SEBRING 40m Trophy」のひとコマ。1960年製A35で奮闘する鈴木 尚さん
  • こちらはスプリントレース「TINTOP CUP」のひとコマ、1963年製A40ファリーナで奮闘する小関伸一さん
  • A35(左)の丸みを帯びたデザインからスクエアになったピニンファリーナのボディをまとったA40ファリーナ(右)
  • A40ファリーナを追うのはラリー仕様のA35
  • フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィーの中で開催された「フライングAトロフィー」
  • ベイビー・オースティンたちが、緑が気持ちいいフォレストレースウェイのコースを埋める

A30/A35/A40の戦後ベイビー・オースティン3兄弟とは

ヒストリック二輪車&四輪車の祭典「フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」。袖ヶ浦フォレストレースウェイで2024年5月26日に開催された春の回では、オースティン「A30」、「A35」、「A40」の戦後型「ベイビー・オースティン」3兄弟が22台集合し、「フライングAトロフィー」が開催されました。日本では知る人ぞ知る存在ながら、じつは英国では往年のF1王者たちがこぞって称える名車だったのです。

英国で戦後の小型大衆車のスタンダードとなった

米国のフォード「T型」と同じく戦前の英国において、その安価で十分なポテンシャルから、「ベイビー・オースティン」と呼ばれ小型大衆車のスタンダードとなったのがオースティン「セブン」だ。そして第二次世界大戦後、戦前のセブンと同様に、戦後の小型大衆車のスタンダードとなるようにと「ニュー オースティン セブン」として、オースティン「A30」が1951年のアールズコート・モーターショーにて発表された。

のちに「Aシリーズ」として小排気量エンジンの代名詞となる新開発のエンジンを搭載し、モノコック構造を持つなど他メーカーに比べ革新的で安価なA30は、その後エステートやバンといったバリエーションも増やしながら、22万3264台が製造された。

1956年にA30からバトンタッチされた「A35」は、それまでのBピラーにある拍子木式のウインカーから、前後にウインカーライトを備え、メッキのグリルはペイント。大きくなったリアウインドウなど外観を変更。加えてエンジンも803ccから948ccへと拡大されエンジンはパワフルになり、ワイドレンジになったミッションはダイレクト式からリモート式となりフィーリングも向上する。

1962年にサルーンの製造が終わるも、バンは1968年まで製造され、総計35万4609台が造られた。

また、ピニンファリーナのデザインにより、これまでと違ったモダンなスタイルとなったA40は1958年に登場。翌年に追加されたエステートの開口式テールゲートは、量産ハッチバックのレイアウトの先駆けとなった。

グラハム・ヒルは愛車のA35でモナコGPへも遠征

これらベイビー・オースティンは、モータースポーツでも活躍し、1958年に始まったブリティッシュ・ツーリングカー選手権(BTCC)では、「フライングドクター」ことジョージ・シェパードのA40が1960年のチャンピオンに輝く。

1962年と1968年のF1ワールドチャンピオンであるグラハム・ヒルは、チーム・ロータスのメカニックからドライバーへと「昇格」した1958年にエッソからのスポンサーフィー1000ポンドで、初めて新車を購入。それがA35であった。そして盟友ジョン・スプリンゼルらとさまざまな競技に出場するのだが、この年のBTCC最終戦のブランズハッチで、前を行くレス・レストンとロン・ハッチソンのライレー「1.5」が競り合ってる間をすり抜けて勝利したレースを、観客の熱狂ぶりは痛快だったと自伝にも残している。

グラハム・ヒルは競技だけでなく、世界中のサーキットにも愛車で転戦、F1デビューの1962年モナコもA35で行った。

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