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事故歴あり・オールペン済みでも2億6500万円!「ミンティフォーティ」の愛称でSNSで超有名なフェラーリ「F40」はお買い得だった!?

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2024 Courtesy of RM Sotheby's

アマルガムのミニカーにもなった知名度抜群の個体ながら……

RMサザビーズの公式ウェブカタログでは「シャシーナンバー88538をひと目見ただけで、そのオーナーがなにを求めていたかが分かる。そのペイントは、スターリング・モス卿のために製作され、最終的にイネス・アイルランドとマステン・グレゴリーが1962年のル・マン24時間レースに参戦した有名なレイストールのフェラーリ250GTO、シャシーナンバー“3505GT”への明確なオマージュ」と謳われている。

また「250GTOは、F40と同様、クラシックなフェラーリ・レッドのカラーリングをまとったモデルとしてよく目にする。しかし3505GTのユニークなカラーリングは、ほかの錚々たるモデルとは一線を画し、その美しいペールグリーンの色合いは、その後のフェラーリ各モデルのペイントカラーにもインスピレーションを与えてきた」とも記されている。

ただし、かつてマツダコレクションの「フェラーリ美術館」に所蔵されていた緑色の3505GTを目にする機会のあった日本人ファンは、おそらくまったく異なる感想を抱くような気がしてならない。ル・マンではリタイヤに終わったものの、その後「グッドウッドTT」で総合優勝した「UDTレイストール」チームの3505GTは、もっと黄味の強い緑色だったはずなのだ。

そんな歴史的な背景はさておき、強烈に個性的なエクステリアカラーを引き立てるため、インテリアはこの地域で最も才能のあるトリマーのひとりで、自動車よりも航空機の内装に慣れている職人によって、巧みにブルーのトリミングが施された。彼の仕事は驚くべきもので、「ミンティ」のコンセプトに新たな一貫性をもたらすことになる。

このマシンをひと目見れば「ミンティフォーティ」という不朽のニックネームを与えられた理由がわかるものである。シャシーナンバー88538は、このかたちで再デビューして以来、どこへ行っても注目の的となり、とくにソーシャルメディア上では無数の投稿に登場している。

走行距離は3万1000キロに達している

また、有名な超高級模型メーカーである「アマルガム」社によって、1/8および1/18の正確なスケールで再現されたことも重要なトピックである。このミニチュアモデルはフェラーリの公式ライセンス製品に認定されており、このオークション出品に際しては1/18スケール版が添付されることになっていた。

このミンティフォーティは、2022年以来「シャルトクリッセ」社によってメンテナンスされており、その整備記録は請求書に残されている。また、F40では消耗品ともいわれる燃料タンクは2022年に交換され、同じく消耗品として知られるタイミングベルトについても、大がかりな点検・交換が行われた。

オークション公式ウェブカタログの作成時点で、走行距離は3万1000km強に達しているが、これはF40としては健全なマイレージであると売り手側は主張していた。

「ミンティフォーティは、どこへ行っても強烈な印象を与えるカリスマ的マシン。気の弱い人には向かない」

そんな挑戦的なPRフレーズを添えて、RMサザビーズ北米本社は190万ドル~250万ドル(邦貨換算約2億8000万円〜3億6750万円)という、近年におけるフェラーリF40のマーケット市況を鑑みたエスティメート(推定落札価格)を設定した。

ところが、モントレー市内の大型コンベンションセンターで挙行された競売では、期待されていたほどにはビッド(入札)が伸びなかったようで、手数料を合わせてもエスティメート下限を割り込む179万2500ドル。つまり、日本円に換算すると約2億6500万円で、競売人のハンマーが鳴らされることになったのである。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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