世界の映画祭で絶賛された自主制作映画『最後の乗客』
2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地への想いを伝えるため、宮城県仙台市出身の堀江 貴監督がメガホンを取った自主制作映画『最後の乗客』の全国公開が開始されました。1台のタクシーが被災地を走りながら過去から現在までの思いを繋げる物語は、世界各国の映画祭に出品され、大きな感動を呼び数々の受賞を果たしました。映画評論家がこの映画について解説します。
宮城県仙台市出身の堀江 貴監督がメガホンを取る
われわれの記憶から消えることのない自然大災害、東日本大震災。その日2011年3月11日、たくさんの人たちが、かけがえのないものを失った。そして2024年正月に起きた能登半島地震。実際に災害当事者にならない限り本当の苦しみは分からない。われわれがしていることは分かったふりをしていることだけだ。
本作はそんな震災のあった場所を舞台に、1台のタクシーが被災地を走りながら、過去から現在までの思いを繋げる物語として描かれている。そこには突然の震災によって、伝えられなかった思い、伝えたかった思い、突然に生活や人生を断ち切られた人々の思いが静かに描かれていく。物語は後半に向かうにつれてそれぞれ登場人物たちの人生がひとつに繋がっていき、観る者の心に楔を打ち込んでくる。それはまるで車輪の心棒の端に打ち込み、車輪がはずれないようにする意味のある楔と同じ意味合いで現れてくるのだ。
宮城県仙台市出身の堀江 貴監督は当日ニューヨークに滞在しており、実際には東日本大震災を体験してはいないという。そんな彼はいかなる思いを胸に本作品を撮ったのか?
かつて震災に見舞われた東北の小さな港町で噂されていたのは……
人は他者に対して簡単に「頑張れ」という言葉を投げかける。イベントなどのお題目にもこの言葉は使われる。じつに分かりやすい言葉だからだろう。だが、僕はこの言葉が大嫌いだ。頑張れといわれる方はどれだけ苦しいことか、辛いことか、これだけやってもまだ届かない、一体自分はどれだけ頑張ればいいのか。そんなことに思い至ってしまうし、そもそも他者に対して気軽に頑張れと言える人間は、自分は頑張っていない気がして仕方がない。
そして当事者のことをどこまで考えているのか、ましてやほとんど考えもせずに発する。所詮、他人ごとだから言える言葉なのだ。自分がやらない、できない、しないから他者に気軽にそんな言葉を投げかけられるのだろう、としか思えないのだ。
東日本大震災が起きてから10年。復興が進んできている、かつて震災に見舞われた東北の小さな港町。タクシードライバーたちの間では、深夜にタクシーを流していると人気のない道で手を上げる女がいる、という噂が広まっていた。タクシードライバーを務めている遠藤は、ある夜、閑散とした住宅街でひとりの若い女性を乗せる。その後すぐに今度はクルマの前に飛び出してきた母親と女の子を同乗させることに。遠藤は彼女たちの望む場所=浜町へと車を走らせるのだが、何かが胸に引っ掛かるのを感じていた……。