現存する唯一のVシリーズ試作車にして、故ピエヒ博士も愛用した個体
もうお分かりだろう。このほどRMサザビーズ「Monterey 2024」オークションに出品されたポルシェ959はVシリーズ・プロトタイプの1台で、社内では「V5」と呼ばれていた個体。そして、ポルシェ959のテストドライバーであるディーター・レーシャイゼンの手によってテストされたものである。
ボット博士の指揮のもと、959プロジェクトのテストのほとんどを担当したレーシャイゼンほど、この有名なモデルのステアリングを握って走行距離を伸ばした人物はこの世に存在しないだろう。V5はレーシャイゼンが最後に担当した959のテストカーであり、2015年に出版されたユルゲン・レヴァンドフスキの著書『Porsche 959』に掲載された膨大なカラー写真アルバムに記録された、唯一のVシリーズ試作車である。
助手席の代わりに巨大なオンボードコンピューターを搭載したレーシャイゼンは、1985年から 1986年にかけて「エーラ・レッシェン」に「ナルド高速周回路」、「ニュルブルクリンク」などのクローズドコース、そしてヨーロッパ大陸各地の公道を旅しながら、V5のシャシーやサスペンション、トラクションコントロール、高速性能の限界を追求した。
この冒険的テストランでは、V5のアクティブサスペンション機構を共有しない姉妹車の「V1」とペアを組むこともあった。レーシャイゼンは2019年の『エクセレンス』誌上にて、スウェーデンとノルウェーへの旅の際、「V1では不可能だった深い雪の中も、V5なら走ることができた」と回想している。V5はV1のために道を空ける除雪車として使われることさえあったというのだ。
公務を終えたのち、ボット博士はこのV5をプライベートカーとしてピエヒに譲り、彼は1987年に5万9100kmの走行距離を重ねながら、友人で著名なシェフのハシ・ウンターベルガーに売却するまで毎日のように使用していたとのことである。
唯一無二の重要なポルシェとして際立つ存在
ウンターベルガーは、1992年6月に有名な自動車写真家ルネ・シュタウトに売却する前に、V5のオドメーターにわずか1500kmを追加した。いっぽう、ポルシェ本社ファクトリーに依頼し、V5の布製インテリアを現在のレザー内装に交換させたシュタウトは、1999年までにさらに5500kmを走らせた。
長い間、V5はポルシェの製造史においてもっともユニークかつ垂涎の的のひとつとされ、1999年から2021年にかけて、ヨーロッパで高く評価されてコレクターたちの間を短い連鎖のように渡り歩いた。2019年には、アルテシューレ・デイリーが制作した魅力的な長編ドキュメンタリーで、ディーター・レーシャイゼンとの再会を果たしている。
2021年3月、V5は最終的に現オーナーによって購入され、その時点でミュンヘンにて「PW493H」として登録されたときには、7万7479kmのマイレージを表示していた。
いかなる自動車コレクションであっても、ポルシェ959の1台が含まれることは非常に名誉なこと。そのパフォーマンス、テクノロジー、美学、そして快適性のすべてが、非常に重要な意味を持つ特別なクルマとして結実している。
しかし、現存するただ1台のVシリーズ・プロトタイプとして最高のストーリーを有するV5は、「普通の」959とは一線を画す、唯一無二の重要なポルシェとして際立つ存在であることは認めざるを得ないだろう。
この稀有な959のオークション出品に際して、RMサザビーズは180万ドル~230万ドル(邦貨換算約2億6640万円〜3億4040万円)という、昨今100万ドル超えが当たり前となっているポルシェ959の中でも格別ともいえるエスティメート(推定落札価格)を設定した。
しかし実際の競売では出品サイドが期待していたほどにはビッド(入札)が伸びなかったようで、最終的にはエスティメート下限を割り込む165万5000ドル。すなわち、日本円に換算すれば約2億4700万円という価格で、競売人のハンマーが鳴らされることになったのだ。