モータースポーツをこよなく愛するオーナーのフィアット・アバルト 124ラリー
フィアット・アバルト「124ラリー」といえば、1970年代のグループ4時代にWRCをはじめとするラリーシーンで大活躍した名車。21世紀のリバイバル版として2016年にアバルト「124スパイダー」が登場したことで、世のクルマ好きたちはその伝説にあらためて思いを馳せたものです。そんな元祖アバルト124ラリーに30年乗り続けている佐々木さんは、さまざまなモータースポーツを楽しむべく、ずっと現在進行形で愛車を進化させ続けています。その内容を紹介しましょう。
グループ4用にアバルトがチューンしWRCを席巻
ピニンファリーナによるスタイリッシュなボディデザインをまとい、1966年のトリノショーでデビューしたフィアット「124スポルトスパイダー」は、4輪ディスクブレーキやDOHCエンジンによる高出力エンジンに5速トランスミッションを組み合わせるなど、量産スポーツカーとして非常にパフォーマンスの高さを持ち合わせていた。
その後、1973年に世界格式のラリー競技として、FIAにより世界ラリー選手権(WRC)が創設されると、プロモーションとして本格的国際ラリーに挑むことを決めたフィアットは、まずはフィアット124スパイダーを改造して挑む。
当時のWRCはトップカテゴリーの「グループ4」で各メーカーがしのぎを削っており、フィアット・グループも競技用車両に開発を担当していたアバルトに、グループ4のホモロゲーション取得に対応したマシン製作を委ねる。
サスペンションを中心に改良が施され、排気量も1756ccへと増強し、圧縮比を高めたエンジンを搭載。各部ボディパネルはアルミやFRPへと素材変更されて軽量ボディをまとい、さらにオーバーフェンダー、ドライサンプ化、オイルクーラーを追加するなどし、アバルトの手により完成したフィアット・アバルト「124ラリー」は1972年11月にデビューした。
車両公認を取得すると、1973年のWRC開幕戦となるモンテカルロラリーに出場、4台体制で挑み、次第に信頼度を高めていったアバルト124ラリーは7戦目となるポーランドラリーで念願の初優勝を成し遂げ、年間のメイクスランキングは2位と大奮闘した。
翌1974年からは同じフィアットグループのランチアが純レーシングとも言える「ストラトス」を投入したことにより、市販車をベースとしたアバルト124ラリーには辛い戦いとなったが、前年に続きメイクスランキングは2位と素晴らしい結果を残したのである。
30年間アバルト124ラリーをアップデートし続ける
約1000台が造られたと言われているアバルト124スパイダーを、埼玉県秩父郡皆野町で行なわれた「ミナノはミラノ 勝手にイタリア祭」に展示していたオーナーは川崎市から参加の佐々木晴英さん。2桁ナンバーからも長く乗っていることがうかがえる。
また、佐々木さんはナリタモーターランドで行われているタイムトライアル「アバルトカップ」の主催者として、愛車の性能をフルに使えるドライビングの場を提供し、スポーツ走行の啓蒙活動にも積極的なオーナーでもある。
現在の愛車である1974年式アバルト124ラリーを手に入れる前は、ベースとなったフィアット124スパイダーに乗っていたそうだ。ちょくちょくイジりながら楽しんでいたという佐々木さんであったが、それ以上のパフォーマンスを望むには乗り換えが正常進化かな、と思い、縁のあったアバルトへ車両を変更したという。
それからは、タイムトライアルや、ヒルクライム、ジムカーナなどといった競技に積極的に参加し、自身の運転スキルを磨くだけにとどまらず、30年間、いろいろと試行錯誤をしてアップデート。さらなるタイムアップを目指している。