元マツダコレクションのフェラーリ250GT スパイダー カリフォルニア
RMサザビーズ北米本社が毎年8月中旬にカリフォルニア州モントレー市内で開く、現在の国際クラシックカー市場における世界最大規模のオークション「Monterey」は、2024年も8月15日~17日に開催されました。今回は、オークション開催前からメインビジュアルのひとつとして露出されていたフェラーリ「250GT スパイダー カリフォルニア」のロングホイールベース版をピックアップ。じつはこのスパイダー カリフォルニアは、日本国内に生息していたヒストリーを持ち、筆者自身にも、短いながら鮮烈な想い出のある1台でした。
レースでも活躍できるエレガントなスパイダー
フェラーリの「250GT スパイダー カリフォルニア」ほどのパワーと魅力を放つモデルは、自動車の歴史を振り返ってみても決して多くはない。
1955年の「ル・マン24時間レース」における大惨事を受けて、FIAが世界スポーツカー選手権の排気量制限を変更して以来、マラネッロは「250GT」プラットフォームとともに高みを目指し、「250GT ツール・ド・フランス(TdF)」や「250 テスタロッサ」のモデルでスポーツカー競技における輝かしい成功で名を馳せた。
さらにフェラーリはこれらの素晴らしいレーシングマシンにくわえ、ロードゴーイング高級GTの「250GT-PFクーペ」と「250GT-PFカブリオレ」のラインナップを作り上げ、エンジニアリングとスタイルの頂点を定義するようになってゆく。
しかし1957年、その限界をさらに押し広げようとしたひとりの男が現れる。カリフォルニアを拠点とするインポーターで、西海岸でフェラーリのディストリビューターとなっていた地元のスポーツカークラブの共同設立者だった、ジョン・フォン・ノイマンである。
彼は、マラネッロの偉大なコンペティツィオーネたちの伝統にのっとり、レースで走らせるのみならず、家に持ち帰ることもできる万能型でスポーティなオープン・フェラーリのアイデアを提案した。
オープンボディはスカリエッティが手がけた
アメリカ東海岸におけるフェラーリの正規輸入代理店であるルイジ・キネッティも、フォン・ノイマンのアイデアに興味を示し、やがて250GTの新しいバリエーションとして「スパイダー カリフォルニア」が少量生産されることになった。
同時期に併売されていたピニンファリーナ製の250GT カブリオレよりもスポーティなスパイダー カリフォルニアは、250GT-TdFベルリネッタのシャシーとボディ下半身を共有し、そのオープンボディはデザインワークから架装まで、伝説のセルジオ・スカリエッティが手がけた。
スカリエッティのコーチワークは、250GTの潜在的なプロポーションをみごとに再現したもので、官能的な造形のフェンダーは、前輪のすぐ後方に設けられたルーバー状のエアアウトレットによって補完されていた。
250GT スパイダー カリフォルニアといえば、ショートホイールベース(2400mm)の後期型も有名だが、当初250GT-TdFと同じ2600mmホイールベースのシャシーをベースに製作され、のちに「ロングホイールベース(LWB)」と呼ばれるようになった前期型250GT スパイダー カリフォルニアは、1959年の「セブリング12時間レース」でクラス優勝を果たし、数カ月後のル・マンでは総合5位に入賞するなど、当時の耐久レースのGTカテゴリーで注目を集めてゆく。
そして、その名が示すように多くのモデルが米国に輸出され、北米SCCA選手権のレースでも目覚ましい活躍を果たしたのである。