ケーターハムとのプロジェクトに期待!
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。2024年10月2日、ヤマハが英国ケータハム社にeアクスルを供給し、EVスポーツの計画に参画することが発表されました。そこで今回は「ヤマハの4輪車への挑戦」を振り返ってもらいます。
ヤマハ発動機は日本楽器製造から独立した会社だった
ひと口にヤマハと聞いて、連想するイメージは人によって違う。ある人はピアノをはじめとした楽器かもしれないし、いや、オーディオだという人もいるだろう。そして我々(このサイトを読む人)に最も近いのは、2輪車メーカーとしてのヤマハだろう。もっとも、2輪を作るヤマハ発動機は、ヤマハ株式会社(当時は日本楽器製造)から独立した会社なのだそうだ。
そのヤマハは、2輪車を作る傍らで昔から4輪車への進出を画策していた。当初はクルマを丸ごと作るところから始まっていて、MGAツインカムを手本に最初に作られたのが、「YX-30」というオープン2シーターのモデルである。まだ、世界的にもDOHC黎明期にあって、オールアルミ製(ピストンからコンロッドに至るすべて)の1.6Lエンジンを完成させていた。
そして並行して開発された試作2号車は、コンパクトなクーペモデルだった。個人的にはこのクルマを見て確信に近いものを持ったのだが、これは、ファセル・ヴェガ「ファセリア」が手本だ。1961年7月に日本楽器製造はファセル・ヴェガ ファセリアを購入している。
ただ、購入したのはコンバーチブルだったのだが、この試作2号車のデザインはファセリア4シータークーペにあまりにも酷似しているのである。
日産、そしてトヨタとのコラボが続く
その後ヤマハの力では車両を完成させることなく、このプロジェクトは終焉するのだが、とあるメーカー(日産である)がヤマハの技術に興味を持ち、共同でスポーツカーの開発が進む。全体の概要は日産が作り、ヤマハはYX-80と呼ばれる2L DOHCのエンジンの供給と、細部の設計や試作を担当する。こうして完成したのは日産「A550X」と呼ばれた流麗な2シータースポーツで、本来は東京モーターショーに出品されるはずであったのだが、その計画は突然中止されてA550Xは幻のクルマと化した。
完全なランニングプロトまで作られていたのにである。我が家には今も日産時代にとあるデザイナーが描いたレンダリングがある。そして紆余曲折の末に、このヤマハ製2L DOHCエンジンを搭載したクルマはトヨタから「2000GT」として誕生するのだが、そのくだりはここでは省略する。
独自に車両を開発しロンドンで初公開!
これ以降、ヤマハはトヨタとともにエンジン開発に専念し、最終的にはブラバム「BT60Y」に搭載された3.5LのF1エンジン開発まで突き進む(これはトヨタとは無関係)。そしてこの3.5L V12、「OX99」エンジンはF1では成功しなかったものの、そのF1でマシンがまだエントリーしていた1992年に、ロードゴーイングカーにこのエンジンを搭載して特異なスポーツカーが作られた。それが「OX99-11」である。
このクルマは1992年にロンドンで初公開されたものだが、そのエンジンベイに搭載されていたのがOX99であった。もちろんロードゴーイング用としてデチューンされていたのは言うまでもない。 F1参戦と同時期に開発されていた関係から、ヤマハは本気でこのクルマを市販するつもりだったのだろうが、やはり時代が悪すぎた。価格は当時でも1億円を超え、バブルが消滅した時代背景からは恐らく考えられないくらい高価なものだったように思う。だから結局はこのクルマも完成はしたものの、日の目は見ず終いである。
ボディのデザインは由良拓也
発表会でこのクルマをドライブしたのはジョン・ワトソン。長くブラバムで活躍したドライバーだったからの登用ではないかと思われた。ちなみにヤマハエンジン搭載のF1ブラバムをドライブしたのは、マーチン・ブランドルとマーク・ブランデルの2人である。
OX99-11と名付けられたこのクルマはそのベアシャシーからもわかるように、ほとんどF1にルーフの付いたコックピットを与えたような作り。ボディのデザインは由良拓也氏。発表会の場にも彼の姿があった。車体の中央にドライバーズシートがあり、そのいで立ちはまさにF1そのもの。しかし、ドライバーの左サイドやや後方にはもうひとつのシートがあり、一応タンデムの2人乗りとされている。
実際に発表会の場では女性がその席に収まってみたものの、やはり窮屈そうなのは見てもわかった。 結局3台が作られただけでプロジェクトはキャンセルされた。2016年には袋井のテストコースを走行したOX99-11の姿がネットに掲載されていて、現在もおそらく3台すべてが動体保存されているはずである。
ケータハムのモデルはEVである。残念ながらICEでスポーツカーを作ることは叶わなかったが、ケータハムとのプロジェクトは成功させてほしいものである。