ダーウィンの町には日本との悲しい歴史も
すっかりAirbnbが気に入ってしまい、翌日はダーウィンの中心部に宿をとった。思い立って、すぐに予約できるのも便利だ。この日のお宿は大きなコンドミニアムの1室だ。ホストはエルウィンさんという女性で、ニコニコと愛想がよく、頼むと洗濯もしてくれた。
お昼にチェックインさせてもらい、初日にできなかったダーウィンの町歩きに出た。じつは日本とダーウィンは関連がある。それは戦争だ。北部オーストラリアは、第2次世界大戦の激戦地となったパプアニューギニアやティモールが目と鼻の先。港があったダーウィンは日本軍の標的となり、1942年2月19日にはダーウィン空襲が行われた。市内の公園には、負の遺産が展示されている。ぼくを含め、
新しく開発されたウォーターフロント地区、アボリジニーのアートギャラリーなどをぶらぶらと見て歩く。乾季なので雲ひとつない快晴。冬とはいえ33度の暑さだ。たまらずに観光客相手のパブに入り、ビールをいただく。オーストラリアの中ジョッキの呼び方、スクーナーにも慣れてきた。もう一杯、飲んで、一旦、宿に帰った。
夕方に出直し、夕食を物色する。日曜のせいか、当たりをつけておいたコリアン料理もタイ料理も休みだった。ステーキも気が進まないなぁ、と思っていると、アジア飯のテイクアウトがあった。これもダーウィンらしくていいや、と肉と野菜の炒め物がのった丼を注文した。
国籍が分からない女性店員に注文し、「レストルームはどこ?」と聞くと、カウンターの真下を指差す。「え?」と聞き直すと、ぼくの目の前にある椅子を指している。ここで休んで待っていろ、といっているのか?「レストルームは、トイレだよ」というと、「トイレ? トイレはあっち」と無愛想に別の方向を指さした。
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