希少なイスレロがオークションに登場
2024年8月16日、ボナムズ社がアメリカで開催した「The Quail 2024」オークションにおいてランボルギーニ「400GT イスレロ 2+2 クーペ」が出品されました。数少ない生産台数の125台のうち、104台目のモデルでした。車両の詳細とオークション結果についてお伝えします。
イスレロでル・マンに出ようとした男がいた
「イスレロ」は1968年のジュネーブショーでデビューしたランボルギーニの2+2クーペ。「400GT」の後継車として投入されたモデルである。名前の由来はランボルギーニらしく、闘牛の牛の名称から来ている。
意外だったことがひとつある。それは当時レーシングカーを作らないことで有名だったランボルギーニが、たとえプライベーターのためとはいえ、このクルマのレース用パーツ(強化パーツというべきか)を供給したことだ。
ポール・リリーと友人のロジェ・ルヴェーヴは、一生に一度、ル・マンでレースしたいという共通の夢を持っていた。その実現のために当初フェラーリでの参戦を予定していたのだが、エンジンをブローアップさせて、参加車両をポルシェ「911」に変更する。これが1975年4月7日のことである。それ以前の2月初旬、ポール・リリーはランボルギーニ イスレロを購入し、ロードユースで楽しんでいたのだが、夢が膨らんで911ではなくてこのイスレロでル・マンに出ようと目論むのである。
本戦出場は叶わず……
そこで彼はつてを頼ってランボルギーニ工場を訪問する。もちろん当時ランボルギーニではレーシングカーを作ってはいなかったのだが、当時のセールスディレクターだったウバルド・スガルジが、強化ブレーキや強化サスペンションなど、イスレロのアップグレードパーツをレンタルすることを申し出た。こうして曲がりなりにも完成したレーシング・イスレロを、再度参加車両変更で登録する。1975年6月2日のことで、この時ゼッケン34も交付されている。
そしてついにル・マン参加に漕ぎつけ、順調とはいかないまでも予選に臨むことになった。しかしその予選でマシンをクラッシュさせてしまい、ラップタイム5分28秒00であえなく予選落ちとなったのである。ところがルイジ・キネッティ率いるNARTのチームが主催者とのトラブルからすべてのマシンを引き上げることになったが、ポールの本戦参加は認められたのだ。
だが、失意のポールはすでにサーキットを後にしており、携帯もなかった当時は連絡も付かず、結局イスレロの本戦出場は叶わなかった。しかし、このイスレロこそランボルギーニが初めてル・マンに足跡を残したマシンなのである。VINナンバーは6009であった。