1966年式 MG ミジェット Mk-II
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回は、かつては日本における旧車エンスー趣味の創成期にも絶大な人気を得ていたスポーツカーの金字塔的名作、MG「ミジェット」を俎上に載せ、その走りを味わってみました。
旧車エンスー創成期の日本でも大人気を得たミジェットとは?
1950~1960年代に最盛期を迎えた「ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカー」は、その名のとおり、英国製の小型で安価な量産スポーツカーを指した言葉。おそらくは和製英語と思われるが、この時代の北米市場を中心にあらゆる地域・階層の顧客から熱烈に支持され、確実にひとつの時代を築いたジャンルである。
そして、そのジャンルの代表格に挙げられるべき傑作モデルが、当時の英国における最大の自動車メーカーグループ「BMC(ブリティッシュ・モーター・カンパニー)」の最盛期を支えたモデルのひとつたるMG「ミジェット」だった。ただミジェットについてご説明するには、まずは「スプリジェット」なる愛称の「スプリ」にあたる片割れ。姉妹車であるオースティン・ヒーレー(A.H.)「スプライト」についてもお話しせねばなるまい。
1957年にデビューしたオースティン・ヒーレー スプライトは、じつはBMCとしても初体験となったモノコックボディに、当時のBMC最廉価モデルたるオースティン「A35」/モーリス「マイナー」からパワートレインやサスペンションなど基本コンポーネンツのほとんどを流用したロードスターだった。
水冷直列4気筒OHV 948ccの「BMC Aタイプ」ユニットのパワーは43psというささやかなものながら、それでも600kgそこそこの軽量ボディがもたらすクイックな操縦性と、ライトウェイトスポーツカーに長い経験をもつ英国車ならではの本格的なつくりは極めて魅力的なもので、生来の目的どおり北米市場を中心に、高い評価と商業的な成功を獲得した。
1961年には、日本におけるニックネーム「カニ目」の由縁ともなった可愛い丸形スタイルのフロントカウルと、同じく曲面のみで構成されたリアセクションから、より直線的なデザインで完全リニューアルした「スプライトMk-II」へと進化するとともに、BMCを代表するスポーツカー専業ブランドの「MG」から、ラジエターグリルとエンブレム類を換えた「ミジェット」が、新たにちょっとだけ高価な姉妹車としてデビューすることになった。
また翌1962年には、パワーユニットがミジェット/スプライトMk-IIともに1098ccまで拡大されたのち、1964年にはサイドウインドウがそれまでのスクリーン差し込みタイプから、レギュレーターを手でクルクルと回す巻上げ式に変更されるとともに、ウインドスクリーンもより頑丈でソフトトップをしっかり保持できるものへと変更するなど、大幅な耐候性アップを図ったミジェットMk-II/スプライトMk-IIIへと進化。
1966年にはAタイプエンジンを、「ミニ クーパーS」と同じ1275ccまで拡大するとともに、細部をブラッシュアップしたミジェットMk-III/スプライトMk-IVにマイナーチェンジを果たした。
さらに1974年には、アメリカの規制に適合させるべくウレタン樹脂製の黒い大型バンパーを前後に装着するとともに、エンジンもかつてのライバル、トライアンフ「スピットファイア」と共通の1493ccにコンバートした最終型「ミジェット1500」に最終進化(A.H.スプライトは廃止)。1979年まで生産された。
そして、これら一連のミジェットは、旧車エンスー趣味創成期にあった1980~1990年代のわが国においても、絶大な人気を博したのだ。